素の自分でいられる友人と出逢って、心が安定し人生が変わった
私は発達障害者。多分に漏れずコミュニケーション上のトラブルが多く、人間関係が維持しづらく、特にネット上の人間関係ではトラブルが相次いでいました。
なので23歳になって発達障害が発覚したあとからは、知り合った人と友人付き合いが始まるときには必ず「私には発達障害があって、あなたに嫌な思いをさせるかもしれない」とカミングアウトするようにしていました。ある意味では障害を言い訳や免罪符にしようとしていたんですね。
ところが、あるとき趣味(オンラインゲーム)を介して出逢ったMさんは、その言い訳を受け付けませんでした。
「それを私に言ってどうしてほしいのかな。私はあなたに障害があっても負担が軽ければ友人でいるし、付き合いきれないと思ったら離れるよ」
最初は不安になったものです。
ですが、今やMさんは人生で一番の友人です。
毎日LINEのやりとりをし、ときには一緒にゲームで遊び、遊ばないときも何かしら雑談を続ける、そういう心地よい関係でいます。
私は彼女のことを尊敬しています。とても素晴らしい人だと思っていますし、出逢えたことに感謝しています。
「不快」の尊重が素晴らしい
Mさんのもっとも素晴らしいと思っているのは、「やめてほしい」と伝えたことを二度としない点。
Mさんとの付き合いで、何度か彼女に本気でキレたことがあります。ですが、その不満を伝えると、彼女は二度と同じことをしません。
これはそう簡単なことではありませんね。
何度も何度も不快な思いをさせてくる相手と付き合い続けるのは至難です。それで付き合いを断った相手は何人もいます。
Mさんはそれがないので、私が信頼感を抱ける数少ない相手です。
共通した価値観
Mさんはどういうわけか私と共通した価値観を多数持っており、ドッペルゲンガーかと思うほどです。
生まれ育った土地が違い、私は障害者ですがMさんはそうではなく、年齢は約10歳差なので同世代でもありません。
なのに、なぜか価値観が似通っていて、そもそもの行動規範が似ているのです。
もちろん完全一致ではないのですが、一致しない部分で苛立つことがあっても、やめてと伝えれば完全にやめてもらえるのです。
出逢ったことに運命を感じるほどです。
出逢えたタイミングの良さ
Mさんと出逢えたのは、私が「対人トラブルの原因が自分にもあるのではないか」と思って人との接し方を見直したあとでした。
「他人は自分を映す鏡。自分が相手にしていることを、相手が自分にし返してくる」。私はあるときからそう思うようになり、トラブルが絶えないのは自分が原因を作っているからだと思うようになって、その修正を試み始めたのです。
そして、ある程度それが定着して人間関係のトラブルが減ってきたころにMさんとの出逢いがありました。
もしそれ以前の私がMさんと出逢っていたら、トラブルで別れていたでしょう。
もっとも、これは私に限ったことではないのです。Mさんも「私は昔メンヘラだった」と言っていました(ここでのメンヘラとは「交遊関係にある相手に過剰な負担をかける人」という意味です)。そこでMさんも他人の好ましい価値観を取り入れ、対人関係の改善を努力してきたのだと言っていました。
私たちは、適切なタイミングで出逢えたからこそ、関係を長続きさせられているのだと実感します。互いにタイミングがよかったという意味でも運命的ですね。
「関係維持の努力」が自然にできる相手
Mさんは私にとって、関係維持のための努力がごく自然にできる相手です。努力しているという感覚がないほどです。
Mさんにとっての私もおそらくそういう相手であるらしく、自然と親しい関係を維持できるようです。
無理なく、自然に、素の自分で接して、親しいままでいられる相手。本当に理想的な友人だと感じます。
障害があっても「私は私」と思えた
Mさん以前の友人とはいちいち障害を言い訳にして付き合っていた私ですが、Mさんとは障害を言い訳にせずとも良好な関係を4年も維持しています。今後もそう簡単に崩れることはない関係だと思っています。
このことで、私は自分の価値観に変化を感じました。
私にとって、発達障害は性格と不可分なアイデンティティだという認識だったのですが、Mさんとは障害抜きで親しくしていられます。というより、障害の話など全くしません。稀にそういう話が出ることはありますが、好き好んでわざわざ話すことはありません。
「障害があるから私」なのではなく、「障害は私の一部であって、全てではない」。アイデンティティなのは変わらないと思いますが、私の私らしさは「障害」にあるのではなく、他の部分にあるのです。
Mさんとの友人付き合いで、素の自分でいられて良好な関係を維持できることの心地よさを感じてから、そういう風に思えるようになりました。
このことは私が「素の自分」を認められるきっかけになったと思います。自己肯定が素直にできるようになったきっかけと言いましょうか。
Mさんとの出逢いがなかったら、今の私はありません。そう断言できます。
結婚したいなと思ったことがあったが、快適なのは「友人同士」
一昨年あたり、「Mさんみたいな嫁がほしかったな」と思ったことがありました。
そう思ったときに、「このままMさんへの友情が恋心に変わったりするのかな」と考えたことがありました。
が、様子を見てもそんな気配は全くありません。なので素直にその話をしたところ、Mさんも「白崎さんみたいな結婚相手がいたらいいなって思ったことがある」と言っていました。
が、結婚しようなどという話には互いに発展せず、4年間ずっと友人です。これからも友人でい続けることでしょう。
同性なので、そういう意味でも結婚はできませんね。
まとめ:運命の友人が心を安定させてくれた
Mさんと出逢ったのがきっかけのひとつとなり、私は自分を素直に認められるようになりました。そうして心が安定し、体調が安定し、働きたいと積極的に思えるまでになりました。(それまでの人生で、私の精神は労働意欲が湧くほどには安定していなかったのです)
Mさんのほうも、私と出会ったばかりのころは一言で言うと「ひきこもりのネトゲ廃人」だったのですが、現在は会社勤めをしています。
出逢ったばかりのころの2年くらいは互いにひきこもりだったので、一緒に四六時中ネトゲをしている日々でした。ですが、今や私は自営業を初めてネトゲは引退。Mさんはネトゲは続けていますが社会人生活。ネトゲ廃人にも未来はあるのだなあと実感します。
友人との出逢いで私の人生は大きく変わりました。これからもこの関係を大切にしていきたいです。
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