今日はバザーの日

こんばんは。
今日はバザーの日だそうです。

バザーの日の由来

1884年6月12日に鹿鳴館で日本初のバザーが開催されたそうです。
当時はバザーではなく「慈善会」と呼ばれていたそうです。

最初のバザー

1884年6月12日から3日間にわたって開催され、なんと入場者は1万2千人を超えたそうです。
当時は、女性は家にいて夫を支え家事をすることが務めとされていた時代だったので、「慈善会」という新しく、珍しいイベントとして、とても注目を集めるイベントとなったそうです。

バザーの開催目的

東京有志共立病院に看護師さんがいなかったことに端を発します。
病院に看護師さんがいない理由、それは病院にお金がないから看護師さんを育成できない・・・
だったら、お金を集めよう!基金をつくろう!
こうして第1回目のバザーが開催されることになりました。

第1回目のバザー

その注目度の高さから、当時の新聞に第1回目のバザーの様子が細かく掲載されていたそうです。

陳列棚は13。緑葉で装飾し、日章旗を交叉し、1棚に30~40種の諸品を載せた。値段を記した紅白の札を付け、出品総数は3000有余。棚ごとに受持ちの係が配置された。すなわち、第1番松方夫人ほか、第2番西郷夫人ほか、第3番大山夫人ほか、と続き第13番長岡夫人ほかまで。ほかに茶店担当の第14、第15番が置かれた。出品物は、手袋、靴足袋、巾着、人形、扇子、手巾、襟巻など多種で、「艶麗なる造花、精巧なる押絵...かつその値も意外に廉なるがごとし。各棚列品の羅綾錦繍五彩相映写して、眩目するの外なし。」。陳列室のほかに書画展観席があり、看客の休憩所には階下の食堂が当てられ、喫煙、茶菓の店が設けられた。

バザーの主催者

バザーの主催者は、大山捨松さんや伊藤梅子さん等たくさんの方がいらっしゃるそうです。

バザーのその後

第2回目を翌年の4月、第3回目を11月に開催され、その売上は、当初の目標をはるかに超え、全額が病院に寄付されて、主催者の捨松さん達が望んだように、看護婦教育所が開設されたそうです。

感じたこと

フリマアプリで身近になったなぁと軽い気持ちで書き始めたときは、軽い気持ちで書き始めましたが、調べていくうちに色んなことを知りました。

社会進出と言っていいかはわかりませんが、女性が家を出て活動したこと、また、慈善活動のきっかけとなる出来事だったのかなと思いました。

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