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【書評】齋藤純一、田中将人著『ジョン・ロールズ-社会正義の探究者』(中公新書)

 ジョン・ロールズは、正義論』を著し、現代の政治哲学に多大な貢献をしたことで知られる政治哲学者である。
 本書は、そんなロールズについて、最近明らかとなったエピソードも交えつつ、その理論や議論を紹介するものである。

 私が本書を読みながら常に抱えていたものは、ロールズの理論に対する善く言えば是々非々な、悪く言えば割り切らない評価である。

 私は、古典的リベラリズムを信奉しているが、ロールズの理論と古典的リベラリズムとは、ある程度基本的な関心事項を共有している様に思われる。
 ロールズの理論は、多元性な「善の構想」を肯定したが、古典的リベラリズムも、各人が自らの選択した生き方を追求することを擁護する。所謂「正義の二原理」の内、古典的リベラリズムは、第二原理を却ても、第一原理には凡そ賛同するだろう。
 ロールズの政治的リベラリズムと古典的リベラリズムとの間には、多少の差異はあれども、共通点も多くありそうである。

 一方で、ロールズの平等主義的リベラリズムは、古典的リベラリズムからは否定される。
 ロールズの理論は、必ずしも厳格な経済的・社会的平等を求めているわけではない。むしろ、「格差原理」は、「社会のなかでもっとも不利な立場におかれる成員にとって最大の利益になる」ならば、不平等を正当化し得る。しかし、「財産所有のデモクラシー」にもみられる様に、それでもロールズが、不平等を問題視し、それを制御する仕組みを求めていたことに変わりはない。
 対して、古典的リベラリズムからすれば、決して不平等は不正ではない。古典的リベラリズムも、独占の禁止によって富の集中を規制したり、最低限の社会保障よって再分配をしたりことを擁護することは可能だが、相対的な経済的・社会的な不平等までもが、是正するに値するとは見做さない。むしろ、格差是正の不公平・非効率を批判する。自由と平等とは、両立し得ないのである。

 本書は、ロールズとハイエクとの関係に関するエピソードを紹介している。ロールズが、ハイエクを領袖とするモンペルラン協会への招待に応じず、ハイエクの方も、一度はロールズを好意的に評価したにも関わらず、後にそれを訂正したというものである。
 ロールズとハイエクとの間にある距離は、ロールズと古典的リベラリズムとの微妙な関係を象徴していると言える。
 又、ロールズと言えばリバタリアンとの議論も有名だが、本書は、それについても触れている。ロールズは、リバタリアニズムの正義の構想では、不平等の累積、世代間の富裕と貧困との連鎖が度外視されてしまうと言う。
 古典的リベラリズムとリバタリアニズムとの関係をどの様に捉えるかについては様々な見方があるが、どちらも個人の自由と所有権を尊重し、平等主義的な格差是正に反対するという点は同じである。ロールズのリバタリアニズムへの批判は、その妥当性はともかく、古典的リベラリズムに対しても向けられ得るものだろう。

 いずれにせよ、リバタリアニズムの正義の構想をリベラルな正義の諸構想に含めない一方で、「リベラルな社会主義」の可能性を認めるロールズと古典的リベラリズムとの間には、大きな隔たりがある様に思われる。

 では、ロールズと古典的リベラリズムとが、相互に理解し合うことは出来ないのだろうか。それどころか、対話することすら全く不可能なのだろうか。
 おそらく、否である。
 ロールズの理論は、ハートやハーバマス、セン等様々な論者から批判されていたし、ロールズは、それに対して、時に反論し、時に受容し、自身の理論を訂正してきた。
 ならば、もし、古典的リベラリズムが、もっとロールズの理論に批判や疑問を投げかけていれば、ロールズは、それに対応し、妥当なものと認めれば誠実に受け止めていただろう。そうなっていれば、古典的リベラリズムの現代政治哲学における存在感も、より大きなものになっていたかもしれない。

 かつての私にとってロールズの理論は、専ら批判の対象であった。本書を手に取ったのもある種の「敵情視察」を目的としてだった。
 しかし、冒頭でも述べた様に、ロールズの理論に対する最近の私の評価は、白か黒か、一か零かでは決められないものとなっている。それどころか、ロールズの理論を私の理論を鍛え直すのに活用したいとすら思っている。
 やはり、ロールズの理論には、私も含めて多くの人々が、考え方の違うを超えて認めざるを得ない魅力と歴史的意義とがあるのである。

 そして、この様な私のロールズ評の変化には、本書の与えた影響が大きい。ロールズの理論を一冊の新書にまとめ上げ、読み易くした本書は、私のロールズ理解を促してくれた。
 ロールズの理論の背景にあるロールズ自身の為人やエピソードを紹介している点も、本書の強みである。前述のロールズとハイエクとの関係に関するエピソードは、本書を読んで初めて知ったものであり、ハイエクを切っ掛けとして、古典的リベラリズムに関心を持った私にとって、とても興味深いものだった。
 また、ロールズが、原爆投下後の焼け野原と化した広島をその目で見たこと、ロールズが、原爆投下を批判したことは、被爆国の国民として、思う所が少なくない。
 本書の魅力の全てをここに書くことは、残念ながら出来ないが、もし、この書評を読んで、本書に興味を持っていただけたならば、是非とも読んでいただきたい。

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