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雑記 223 仮定法過去 もしも私が鳥ならば

英語に、仮定法、と呼ばれる表現がある。

「もしも私が鳥ならば、あなたのところに飛んで行くのに」といった類。
現実に反する前提で話をするから、結果も単なる希望。
実現はしない。反実仮想と言う。

学生時代、特に英語が得意であったわけでもないが、
この、仮定法の問題だけは、なぜかいつもスラスラと書けるのだった。

もし、私が鳥ならば、

もし、私が男に生まれていたら、

もし、私の育った家が金持ちだったら、

もし、私に才能があったなら、

もし、私が猫だったら、

「不思議な人ね、全問正解だわ」と指導教官は笑った。
私は無表情に近く、曖昧な対応をする。

仮定法過去、仮定法現在、仮定法過去完了、色々あって、
主節と従属節の時制の呼応は決まり事があったが、
そんな面倒なことは考えなかった。
正解不正解はどうでもよかった。

私は、いつも、仮想の中で生きていたのだ、と思う。

現実は常に困難なことに囲まれていたから、
せめて空想の中で、自由に羽ばたきたい、
そう思って、過ごしていた。
そこには、自由があり、光があり、安堵がある。

その世界は実現不能であるが、心の中では実現可能。
繰り返し繰り返し、もしも、と仮想する。

現実の日々の生活は人並みに過ごしつつ、

心の中で、仮定法の世界は、今でも続いている。

もしも、人生がやり直せるならば、

と。

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