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雑記 701 文春砲

昔からそう。
小学生の頃、
「父が新聞社に勤めている」
と言うと、必ず「わあ~~すごい」と友達から羨望の眼差しで見られた。

「新聞社」と言っただけで、「新聞記者」とは言ってないのに。

新聞社が新聞を出すためには、一つの会社として、輪転機を動かす人も、記事を集める人も、記事を書く人も、まとめる人も、校正する人も、出来あがった新聞を各新聞店に輸送する人も、いなくてはならない。
事件記者だけが、新聞社の顔ではないし、沢山の人が働いて、朝刊が出て、夕刊が出て、ひとつの会社なのである。
でもなぜか皆は新聞記者を連想して、かっこいい、とか、すごい、とか言うのだった。多分テレビの影響だろう。それも、凛々しい男が演じる事件記者。

確かに記事を書くための情報集めは必要だ。そしてその苦労は並々でない。

新聞社や雑誌社に勤める人に対して、私が親近感を感じていることも確かだ。


このところ、K氏の事件について、週刊文春は、毎週木曜日「文春砲」と呼ばれる大暴露記事を次々に放ち、目が離せない展開になっている。
私はテレビを見ない。それは、話題に上ることが、私に大切でないことが多く、誰と誰がどうした、という噂話は興味がない。結婚しても、自殺しても、不倫しても、それはその方達だけで完結してほしいと思う。

週刊文春にしたって、私の認識は、これまで、誰と誰がどうした、の部類で、ゴシップ雑誌とそう変わりないものに思えたので、表紙を見るほかは、買って読もうという気にはならなかった。
今までの文春を知らないから、過去の記事の本当の姿と、その社会的意義については、語れない。

でも今回は、日本の行く先を考えさせられるような記事。取材陣の充実ぶりも、会社をあげての闘いぶりも、よくここまで調べて書いたなと思わせられることが多い。 


その「文春砲」に比べたら、ほんの些細な、あちらが特大の四尺玉の花火だとしたら、我が家の文春記者来訪の話は、線香花火のようなものかもしれない。

4月のある日、
週刊文春の記者ですが、ご主人はご在宅ですか、
と訪ねて来た人がいる。
文春? 何かやったのかしら?
と一瞬思うが、日常を見ている私には思い当たらない。
たまたま観劇に行っていて、いないと返事すると、
何時ごろお帰りになりますか、と。

8時ごろ、と言ったら、その時間に再びその記者はやってきた。
玄関先でしゃがんでノートを出すので、
そこでは、ご不便でしょう、どうぞお上がりください、と居間に通す。

話は、官庁の天下りのことで、何か不正めいたことがあるようで、それは、夫には直接関係なかったが、それに関わっている人は知っている人のようだった。またそのようなことは、時代がいつでも、いつも起きている話でもあるようだけれど。

記者さんは、居間の座卓の前にきちんと正座して、A4の紙にこまごまとメモを書きつけていた。

私は台所にいて、こう言う取材の時って、ICレコーダーを使うものではないのかと思い、
気にはなったが、仮にどこかでレコーダーで録音をしていたとしても、表向きは、聞き書きのスタイルだった。

1時間ほどして、
取材は終わり、記者さんは立ち上がった。

玄関まで送っていくと、
先ほど、家に上がる時に急いで脱いだ靴がキチンと揃えられているのに気が付き、「あっ」と小さい声を上げた。
それから「すみません。こんな突然に来た者をあたたかく迎えてくれて」と恐縮した。

私はこの青年が息子の年齢に近い気がして、
「また来る?」
と聞き返した。
「いえ、連絡先を教えてもらったので、もう来ません」
「文春砲、って、有名だものね。頑張ってね」

記者さんは、身を縮めて、小さくなって、お辞儀をして、そっとドアから出た。

そうか、こういう聞き込み取材の記者さんは、多くの場合、あたたかく、どころか、門前払いをくらったり、つっけんどんな対応をされたり、相手にされなかったりすることもあるんだろう。嫌な思いもたくさんするのだろう。そんな風に思った。

7月の末に、書店に行くと、週刊文春が置いてあり、レジに持っていくと、
珍しいね、
と店主が言った。
そうなのよ、今まで買って読もうとは思わなかったけれど、今週号は特別、先週を100点としたら、今度のは1000点と百田の親分が言ってる、
と返事した。
電子版は有料で、1日早く読むことが出来る。
絶対に手に入れておきなさい、と言ってるよ。

すると、
まったく、馬鹿なやつだ、という風にニヤニヤ笑って、
でもそれ先週号だよ、と。
先週号は4冊ばかり余っていた。

明日、次のが来る。
というので、取り置きしてもらうように頼んだ。
完売する、って言ってるよ。
誰が?
親分が。

さて、翌日夕方、書店に行ってみると、
発売日なのに、週刊文春は1冊しか残っていなくて、
あっという間に次々売れた、という。
コンビニでも、駅の売店でも、売り切れ、と言う。

ほんとだな。今日10時に届いて、もう残り1冊。
何が書いていあるんだあ?
との残りの1冊を手に取り、覗き見ているのだけれど、そんなもの、13ページもあって簡単に読める量ではない。

「お客さ〜ん、立ち読みは、ご遠慮ください」
と私がからかって言うと、
「俺、長く本屋やってるけど、ハタキ持って、パタパタやったことないぜ」
と口を尖らし、顔を見合って笑った。

この店主とは「東京オリンピックはあるかないか」で賭けをして、私が負け、
ある一定期間「ムー」という雑誌を取ることになった過去もある。

お盆で合併号になり、先週は発売がなかった。
まだまだ爆弾はどんどん投下されるだろうというから、先は見てのお楽しみ。
と言っても、これが現実日本の話で、行き詰まっているので、先の記事の展開を楽しんでばかりはいられない。






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