母の怒りを真横で見た娘の考察。

昨日6月18日は父の日でした。
そして今日6月19日はうちの父の誕生日です。

この19日っていうのが毎年父の日と被りがちなんですよね。
なのでプレゼントを1回にまとめちゃえるので楽です。
あえてこの日を選んで生まれてきてくれてありがとう、父。

さて、今日は父のプレゼントとケーキを買うために母とちょっとそこまで車でお出かけしました。
私が運転する車で、母は助手席に。

母はいつも私の運転を過剰に怖がり、私がそれに毎回キレるので最近はあまりふたりで車で出かける機会も少なくなりました。

今日は久しぶりにふたりで町の方へ。
田舎なので、道にはちらほらと薬局や美容院、コンビニがあったり、その間を埋めるように田んぼや畑や民家があったりします。

ゆるやかなカーブがある道を走り、カーブを抜けて直線のコースに入ったとき、8メートルぐらい先の左脇から小学生の女の子がキックボードに乗って飛び出そうとしてきました。

幸い、とっさに私も速度をゆるめて、女の子も飛び出すのをやめたので、事故になることはありませんでした。

運転手の私は少し驚きながらも「カーブから私が出てくることを予測できなかったんだね」と納得し、まだお互いの距離には余裕もあってそこまで心臓がバクバクするような出来事でもなかったので、「危なかった~何事もなくてよかった~」で終わらそうとしました。

しかし助手席の母は

「あービックリした!!!!!!
 もう!!!私から怒っとくから!!!!」

と言って、窓越しに女の子へ
「危ないでしょ!!!気をつけなさい!」
と叱っていました。

窓は開けてなかったので(母もとっさに窓を開けられなかったのでしょう)きっと女の子には鬼の形相をしたお婆さんが口をパクパクしてるだけに見えたことでしょう。
窓開けてなくてよかった。母が機械オンチでよかった。

(関係ないけど全角のパクパクより半角のパクパクの方が字面かわいくないですか?)

まぁ助手席側は女の子に近い方だから、より飛び出してくる怖さがあったのかもしれません。
でもまぁ、結局何事もなかったんだし、向こうもすぐに止まってくれたんだし、そこまで怒らなくても。

それに母が怒ったところで、何が変わるんだろうか。

あの女の子はこの先、「あの人に怒られたからもう飛び出すのはやめよう」となるのかな。

それよりも「この前渡ろうとしたときに車が来て危なかったから、次はちゃんと見て渡ろう」と自分の体験を元に行動できるようになるんじゃないかな。

だって女の子から見た母の姿って、車の中で口をパクパクさせてるだけの鬼婆って印象しかないですもん、きっと。

「あ~ババァ怒ってんなぁ。顔怖っwwww」
ぐらいにしか思わなくないですか?

でも、それならなおさら、母は怒る意味はあったのかな?と考えてしまいます。

女の子には響かなかったとする。
もしくは、ババァワロスwwwwと思われてたとする。

そしたら母が怒った意味って??
母の血圧が上がって、母の体に負担が掛かっただけじゃないの?

母が「怒る」という行動を起こした理由

きっと、母は

・急に飛び出そうとしてきて驚かされたこと
・こちらが女の子に危害を加える可能性を女の子自身が引き起こしたこと
・女の子の将来を心配して

カッとなり、怒ったんだと思います。

でもね、もう全部過ぎたことじゃないですか。
女の子だってちょっと危ない目にあったんだから自分で学習しますよ、きっと。

母が説教する必要なんてないと思うんです。


母は、「驚かされて感じた不安」と「事故を起こしそうになった恐怖」、
「女の子の将来を心配」して怒ったのでしょう。

めちゃくちゃただのエゴですよね。

不安・恐怖・心配に突き動かされた怒りなんてただのエゴです。

そんなのに自分の貴重な人生の時間を費やすなんて無駄すぎると思うのです。


でもまぁ、少し前の私だったら母と一緒になって怒って悪口を言っていたんだと思います。
飛び出してきてこちらを不安にさせた女の子が悪い、と。

でも今日は母の怒りをスルーして「あ~これ事故ったら過失割合何対何なんだろー?」という話に切り替えられるほど、母の言動に飲まれず冷静に対処できるようになってきました。


ちなみに母の名誉のために言っておきたいのですが、母はとても愛情深い人です。
きっとこの女の子のことを思って叱った気持ちも大きいと思います。
ただ、育った環境によって母は不安や恐怖に怯えて行動する人間になってしまったのだと娘ながらに感じています。

行動の元にある「何か」

人間の行動原理には、必ず何かしらの「観念」が影響していると思います。

例えば、今回の例で言うと
「怒った」のは→「不安・恐怖・心配」という観念があったから
ということになります。

ですから自身の中にこの「不安・恐怖・心配」という観念が大きく存在していると、「怒り」という行動を起こしやすくなるのかもしれません。

もし、怒りっぽいのをやめたいというのであれば、自分の中にある観念を観察してみるといいと思います。

私も怒りっぽい性格だったのですが、それは全て「不安」からきていました。
自分の中にめちゃくちゃ大きな「不安」が存在していて、全ての行動はそれを元に起こされていました。

今ではそれを受け止めて、少しずつ「不安」を解消できるよう、心に問いかけて行動しています。

「その不安って今起きてる?」
「今その不安を考える意味ある?」
「その不安なことって本当に起きるの?」

こうやって、今実際にその不安なことが起きているのか、自分に確認してみます。
そうすれば、「あれ、この不安って別に今起きてないな。」とか「この不安って将来起きるか分からないな」って思えたりしてきます。

そうやって、少しずつ自分と「不安」を切り離す訓練をしています。


今日は母とのお出かけで、その「不安」や「怒り」について改めて客観的に考える機会を得ることができ、こうやって文章で整理することもできました。

本当は母にも、不安から解放されて楽しく生きてほしい。

だけど、とりあえずは私から。
私が不安から解放されて楽しく生きているのを見れば、母も何か考えが変わるのではないかなぁとほんの少しだけ期待して、
私は私で不安を手放すレッスンを日々続けていきたいと思います。

今日明日で全て手放すことはできないけど、少しずつコツコツと。
その中でまた気づきがあったら書いていきます。

では、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

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