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生きている意味が分からなくなったとき。

6月から7月へ。
たった1日、日を跨ぐだけなのに、とても印象が変わる気がします。

6月はジメジメ、梅雨。
7月は海の日、夏!

私の体感はまだ6月の15日ぐらいな気分なのですが、現実世界ではもうそこまで夏が来ている7月に突入。

そんな月日の移り変わりのことを考えながら、ぼんやりと、世間に置いていかれてるような気分になりました。


36歳、田舎の実家暮らしの独身。
正社員で働いてはいるけど、10年後にはなくなる職場だし、ボーナスも社保もない。

こんな自分から抜け出したくて婚活も何となくしたりしなかったりしてるけど、
そもそも現状の不満から脱出するために結婚したいなんて理由で上手くいくわけがない。

でも、このまま独りで生きて死んでゆく自信なんて1ミリもない。

私には価値がないから、結婚することで世間から価値を見出してもらえないと生きてる意味がない。

そんなことを考えながら、お風呂で号泣する36歳。

で、泣きはらしたところで気が済んだので、自分の思考を整理すべく、無価値感になった原因や気づきを書いていこうと思います。

自分の無価値感に気づいたとき

あえて無意識的になのかどうか、ずっと見ないようにしていた「自分の価値」について。
それに真っ向から気づかされたのは、大学の心理学の授業でした。

教授がレジュメを配り、そこに載っていたチェックリストの質問に答えるよう受講者へ促します。
それは「自己肯定感の高さ」についてのチェックリストでした。

どんな質問があったかは覚えていませんが、その数が0〜5だったら自己肯定感がとても低い、という結果でした。

私は2ぐらいで、一緒に受けている友人には
「うわっ低すぎっ!」と驚かれました。
その子は10ぐらいで普通〜やや高めだったような気がします。

そこで初めて、自分の自己肯定感の低さや自分に抱く無価値観に気づきました。
それでもそのときはどうすることもできず、心がモヤモヤするときは過食と深酒で紛らわしていました。

20代半ばまでは「私は若い」という虚構の自信があったのでなんとか強気で生きていけましたが、30歳を目前にした頃から、いよいよ自己肯定感の低さが人生にありありと影響を与えるようになりました。

年齢と共に下がる自己肯定感

28歳ぐらいまではまだ20代ということもあり、ギリギリ自己肯定感を保っていましたが、もうジェンガの倒れかけのようにグラグラな状態。
30歳を過ぎてからはもうダメ。完全に崩壊しました。

30過ぎて結婚してない自分には価値がない。
大した職歴もなく、仕事もポンコツな自分には価値がない。
誰にも愛されてない、必要とされていない自分には価値がない。

など、全てにおいて自分には価値がないに結びつける思考になっていきました。

そんな気持ちで生きているから、人生は上手くいくはずありません。

ちょっと良い感じの人ができても、自分の人生を巻き返すために焦ってガツガツしたら引かれて逃げていきました。

仕事にも自信がないので、何をやってもすぐに心が折れて退職してしまう。

30歳からは、そんな後ろ向きの人生を歩んでいました。

自己肯定感の低さは自分の無価値感を大きくし、人生を前向きに生きられないという影響を与えてしまいました。

無価値感の根源

私が自分に価値がないと思うようになったのは、母の影響だと思います。

母は過保護で、特に女の子の末っ子で肌が弱かった私の行動にとても手を出してきました。

母から先回りして色々手を貸されたり、選択を勝手に決められたり、
そうやって自分の行動を遮られたり選択・決定権を失ったことで私は
「自分で行動したり決めたりしてはいけないんだ。」
と思い込むようになりました。

そして、自分の人生を歩めない自分に生きている価値を見出せなくなったのです。

また母はよく不機嫌になったりヒステリーを起こしていたので、それ気遣うような行動するようになったのも自己肯定感が低くなった要因だと思います。

自分の生活を全て握っている者の顔色を窺って生きることは、自分の本心を抑えて生きることでしたから
「本当の私なんていなくていいんだ」
という思い込みが芽生えるようになっていきました。

そういうことが重なって、自己肯定感が低くなってしまったのだと思います。

自己肯定感を上げるには

自分の自己肯定感が低いことに気づいてからは、その上げ方を一生懸命に調べて探しました。

その方法は
・自分を大切にしてあげる
・自分に優しくしてあげる
・自分を愛してあげる
などでした。

しかし、どれも漠然としていてよくわかりません。

なので、自分を甘やかしてケーキを買ってきたりお酒を飲んでみたりしてみましたが、全然満たされない。
太ってむくんだ自分を見て余計に自分が嫌いになるだけでした。

そんな惨めな姿を見るとますます生きてる意味が分からなくなり、さらに過食をしてしまう悪循環に陥っていました。

生きている意味は分からない

結局自己肯定感を上げる方法は分からず、自分の無価値感も消えないまま現在に至ります。

でも、あるときふと思ったことがあります。


「これ、もう生きてるんじゃなくて生かされてるんだわ。」


そのときもお風呂に入って号泣して、
消えたい、消えたい、消えたい、、、
と呟いていたんですが、自分から命を絶つ勇気はなく。

じゃあ何で私生きてるんだ????
と極限の状態で考えたとき、

あ。もうこれは自分の意思で生きてるんじゃない。何かに生かされてるんだ。

という結論に至ったのです。

だって私自身はこんなに消えたいのに生きている。自分の意思に反して生きている。

それならきっと、何かに生かされてるんだと考えるしかなかった。

そして、
生かされているからこそにはきっと意味があるんだ。
生かされてるからには楽しく笑顔で生きよう。

とそのときは思いました。
そのときは。

その考えが降りてきて数日は、
生かされてるんだから楽しく生きよう!
と意識できていましたが、やはり人間は忘れるもの。

これを思い出して書くまですっかり忘れていました。 

それでも楽しく生きられるかもしれない

ということで、今も自己肯定感は低いままだし自分に価値は見出せないけど、きっと意味があって何かに生かされてるんだということをまた再認識して、明日から笑顔で楽しくいれるように生活してみようと思います。

忘れたらまた何度でもここに戻ってきて思い出せばいい。
人生は何度失敗してもやり直せるから、たぶん。

だから、根拠はないけど大丈夫だよ。
と自分に声をかけてあげながら、

低い自己肯定感と無価値感を抱いたまま、

大丈夫、あなたは必要があって生かされているんだから、
楽しく生きてみようよ。

と自分を励ましながら
生きてみたいと思います。

何度も何度も、根気強くやっていきます。
何者かに生かされているこの命が続く限りは。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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