その日まであなたに会いに行きます



わたしは生まれつき腎臓の小児がんでした。
その合併症で両目の視力はゼロでした。
幸い1歳2ヶ月で余命1週間と宣告を受けるも、運命的な巡り合わせによって、難航と言われたオペを執刀を引き受けてくださった医師によってわたしは、それから40年近くこの人生を楽しんでいます。

視力についても、手術と訓練の末、弱視ということで世界を視覚的に感じることもできています。

9歳までは両目とも見えていましたが、左目は網膜剥離で光さえ感じなくなりました。視神経は生きているようで、眼球が何かを認識して動かすことはできています。すごいですよね😊✨

右目は、弱視のまま視力が残っていて、いずれ見えなくなる可能性を医師からは伝えられています。
内臓も強くはなく、同じ年齢の平均的体力はなさそうです。

ただ、ものごころつく前につらかったであろう治療は全て終えていて、抗がん剤を打っている点滴の機械と無菌室でお昼寝から目が覚めた時、退院するときの映像は記憶していますが、わたしはそのころ2歳か3歳。

全く他人事の話のような感覚なのです。

そして、9歳で片目の光を失って、もう片方も見えなくなると目の前で医師から告げられても、ショックを受けることはなく、ただ受け入れつつも、
「それまで何をしよう?」ということを考えていました。

ぼんやりと頭の中に浮かんだことですが、
おそらく治療中の意識が薄いことも、片目の視力が残ったことも、わたし自身がこの体を通して伝えることがある!ということでした。

と言っても、方法はない。
わからない。
視力にハンディがあり、体も強くないわたしが仕事をすることは家族も身内も考えてもいなかったことですが、


そのままおとなしく何もしないのはつまらない・・・
それが私の想いで、できることをしていこうと、限られた道の中で
【あんまマッサージ指圧師】の資格を取る道に進みました。

体力がいるから、そもそもマッサージ師にもなれないと学校の面接でも言われましたし、
卒業学年の時には実際に患者様に触れていくのですが、頼りなさそうだというご意見もありました

なかなか諦めが悪いというのか、おとなしくできないというのか、【できない】という言葉が聞こえたら、やる気になってしまいます😊

結果的に、評価をされるようになり、あんまマッサージ指圧師としての職に進みました。

実習等で訪れた老人ホームを訪問した際、涙を流しながら「ありがとう」と、ただただお話しされるご高齢の女性と出会ったことをきっかけに、わたしの心は温かくなり、この灯を灯し続けたいと思うようになりました✨

その後、企業内マッサージ師として勤務をしていましたが、その企業様に勤める方以外の方は対象ではなく、もっと広く色んな方々とふれ合える場所を作りたいと思ってきました。

わたしは今でも助けていただくことは、たくさんあります✨
先天的に少し不完成なところがあるからこそ、多くの方の優しさと温かさに触れられる人生を送れていることが幸せと感じていますし、完全に出られない状態になっていないことは、むしろ一種の才能として、何かわたしが勇気になれると、いつも情熱をかけられます✨

マッサージを通して、あなたの笑顔と出会えるその日を楽しみにしています✨

SNSという表現できる場所があるのは嬉しいです💖
ブログでつらつらと語ってしまいましたが、またこのサイトにも遊びに来てください😊✨

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