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よろこびの原初

モッパンを見るのが好きだ。ただ人が飯を食らっている様子をカメラに収める、原理としてはそれだけの動画ジャンルである。

ひとえにモッパンといってもその様態はチャンネルによってさまざま。ハイレゾなオーディオ機材を用いて咀嚼音を強調しASMRとして楽しむもの、大口を開けてたくさん食べることで視聴者を驚かせてくれるもの、話題の市販食品を取り上げてレビュー形式で紹介してくれるもの、手作りの料理の美しさで魅せてくれるものもあれば、海外らしいヘンテコなお菓子のインパクトで気を引いてくるものも…等々。どれも見ていて楽しいし、美味しそうに食べる人の表情を見ているとこちらも食欲をそそられる。

これらはしばしばフィルターやテロップ、GB透過、音声処理などを含め凝った編集もなされる。食べるものだけでなくそういったところにもお金がかけられている印象を受ける。また、彼らは「食べ方の綺麗さ」にもかなりこだわっている様子で、唾液のクチャクチャとか鼻息とか不必要な音を極力省き、手袋や小皿(通称モッパンレンゲ)やおそらく画面外ですぐに口周りを拭けるようにセットされたふきんなどの小道具も活用している。視聴者から寄せられる要求に応えるように、見えない部分にも相当気を遣う努力が垣間見える。

一方でその陰には、本当に手持ちの携帯とかデジタルカメラとかで普段通り食事しているところを録画しただけのような、Vlogと呼ぶのは少し仰々しい気もする、そんな飾らないシンプルな動画も結構転がっている。
ただでさえモッパン(咀嚼音)というジャンル自体に対する好みが分かれる中で、一見して恐ろしい雰囲気の漂うこれらに、ここ最近の私はどこか動画サイト文化の、いや果てには人間の暮らしの、黎明に立ち返ったような素朴な楽しさを見出している。

YouTuberというのも今や社会一般にそれなりに通用してきた時代、動画投稿者は不可避的に「クリエイター」たることを求められている。収入を目的として始めたチャンネルでない一般人にしろ、それなりの映像作品としてのクオリティというか、整然さの観点で否応なしに視聴者の評価を受ける。
多くの利用者はその作品的イメージと他ユーザーの口コミに基づいて視聴する動画を選択し、オーディエンスは人っ気がある方へ勝手に流れていく。

これが、趣味として扱うにはかなり疲弊するレベルまで達してきているようにも感じる。
私自身、(モッパンではないが)音楽系のジャンルで動画投稿をしていた経験があるが、一定以上のクオリティが伴わなければほとんど相手にはしてもらえない。まあ再生数のためにやっているという意図は鼻からないが、やはりそういうところから無意識に意欲は削がれていくものである。
どうしても、資金や人材、プロの技術力なしに自他共に納得できる地点まで至るのは難しい。音楽において不完全さは結構直球でナンセンスである(少なくとも表層ジャンルでは)。

それと比較すると、モッパンには「素人のちょっとした娯楽」にとどまることを許してくれる器の大きさがあると思う。そもそも食事という行為は元来日常の中で本能的に営まれ、食卓という場で共有されるもの。そこでは肩の力を抜いて、自分の最も自然なスタイルで味わいを楽しむ余裕があっていいのである。
気が向いた時に勝手に赴くまま撮って出す、その新鮮なモチベーションの状態で見知らぬ誰かのもとへ発信する、この原初かつ最大の歓びがいつまでもそこにいてくれる。それが投稿を継続するための活力としても機能する。
見る側としても、その安心感は画面越しにも共感できるものである。こうした不器用ながらもゆったりとしたやりとりの中に、現代社会で癒しを得るヒントが埋もれているのではないか、とも感じさせられるのだ。

直接対面したかたちの会食はどこか緊張して落ち着かないが、孤食はやはりもの悲しい。その間をとった、間接的に「一緒に味わっている」感覚を得られる方法として、おおよそのモッパン投稿者は素敵な仕事をしている。ありのままの自分で、ひたすら食事という行為とグルメ文化の豊かさに没頭し楽しめるこのジャンル、ぜひ皆にも好みを探してみてほしいという思いだ。


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