やう

音楽というものを聴くことだけで人生つないでいる。人間五十年、すでに夢幻の如くなり・・・。

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音楽というものを聴くことだけで人生つないでいる。人間五十年、すでに夢幻の如くなり・・・。

最近の記事

1人で海

 久しぶりに一人で海に行った。 夏には家族と海に行くとそうは思わないが、一人で行く海は実家に住んでいた頃の海を思い出す。 海で暇つぶす。 堤防で昼寝、釣りをして時間を全く無駄と思わずに過ごした。 今は何かしていないと無駄な時間を過ごしたと思いがちではあるのに、海をただ眺めている時間が貴重な時間であると思うのは、子どもの時の記憶故か、海の素晴らしさ故か? 先日は北海道の海だった。 空と海の色の差が素晴らしく。 実は海の色がどうしてこんなに色合いがあるのかは本当の意味で

    • ライブハウス

       新型コロナウイルス感染のpandemicによって、今までといろいろ変わってきていることは自明の理であるが、これまでの慣習の良し悪しを振り返ることになっていることも面白い。  私が良く行っていたライブハウスも様変わりし、私にとっては今まで以上に居心地が良くなっている。空いている場合はいざ知らず、混んでいる場合お金をとっておきながらどこで聴くんだと思わせるような押し込んで聴かせていたのは、ある種の熱狂感を煽ることでは意味があったかもしれないが、音を聴きに行き音で熱狂させてもら

      • 遠出

         自粛と言われて遠出もせずに過ごしていたのに、もうなし崩しにマスクしていれば何処に行っても問題ないと言う雰囲気になっている。私の仕事場の状況からはまだ平穏な状態ではないことを実感しつつ、我々はそんなに我慢できず、また気にし続けることができないのだと痛感する。  そんな訳で家族にせがまれて遠出する。やはりこの時期は山か!という安易な選択である。  ただ今日はこの景色に出会えたことで、まあこれでいいんだろうな。と思えた。  地球、自然は人のためにだけあるものでないのだなとい

        • 自粛 と”しゅくせい”

           このご時世で、皆が人との接触を絶たなくてはならないということで、感染を広げないようにしていこう。いろいろな活動を自粛していこう。スローガンの様に唱えられる自粛という言葉は本来自ら判断して行うべきことであり、人に言われて行うことではない。それを行わないことを強く戒める流れは加速し、粛正ともいえる正論をぶつけあう日が続いている気がする。 これが加速して粛清にならないことだけを願っているが、いろいろな形で感染者が社会的に粛清されているように感じているのは私だけではないと思う。

        1人で海

          音楽

           いろいろな音楽を聴いてきたが、この行為の終着点はどのようになるのか気になる年齢になってきた。好きな音も変わっていくのが、その時の自分の反映しているのかただ興味が移っているだけなのかがよくわからず、さらにいろいろ聴いている。果たしてこの趣味なのかわからない行為がどんな形に行き着くのか、さらに自分・音楽への興味を増している。