漫画版風の谷のナウシカ・感想

漫画版の『風の谷のナウシカ』を読みました。
結構前から本棚に並べていたのですが、全ては読んでいなくて随分日がたっていました。
『風の谷のナウシカ』では、伝記的に、世界観の構想のスケールの大きさが今まで読んできた漫画とは違いました。これまで、私は漫画は本に比べて情報量が少なくなると私は思っていました。また、世界観の大きく、テーマの核の部分が深いものを描くことができるのか、と思いました。手塚治虫先生の『火の鳥』を一昨年にハマって読んだ時にも感じました。手塚治虫先生は現実感を漫画の中に取り込みます。創造物で、現実ではないのに、思想に影響を与えるほどの力を持っています。
 小さい頃、『ゲゲゲの鬼太郎』が好きで、アニメをよくみていました。大人になってから漫画を読むようになって、作者の水木しげる先生の描かれる漫画の中には現実に溶けこむ想像の中の世界観を感じることができます。手塚治虫先生との違いとしては、想像の世界だとはっきり区別ができる部分と、本当にいるかも、と思っている部分が在る人の、もとから潜んでいる心理の力に入り込んで深めている点を感じています。わくわく感と怖さの両立があります。

今日1日をかけて宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』を読みました。
娯楽としての漫画、というよりも伝記本を読んでいるような感覚が近かったです。
伝記的な、一人に焦点を当てた上で、ナウシカの世界観に出てくる周囲の人たちの、時代の流れのひとつを丸ごと描き切ってしまうのが圧倒的でした。以前、図書館で魔女の宅急便のアニメの絵コンテ集をみた際に、キキの横顔に諸星大二郎のようなタッチで、メモ書きがされていました。漫画の中で、ところどころ重なる場面があり、興味深かったです。迫る迫力のある場面で見かけることが多かったので、宮崎駿監督がこの諸星大二郎先生から受けた影響、真に迫る恐怖すら感じるような人間の真剣さの描き方に興味が湧きました。
 漫画の最後の方で、聖人のような人々、神様のような人々が、清潔で、完璧な清らかさだけの光の世界に在ることをナウシカが否定するところがあります。人は清潔であろうとします。潔癖で、自分が正しいと信じます。血に手を染めるようなことはしないと信じています。けれど、見える形ではなくとも、見捨てたり、損得だったり、自分のことが可愛くて生きていく中で、清らかさだけで生きていることはありません。ナウシカの人間として生きていくことの生の肯定があります。それは、人間がもつ愚かさや、汚い部分があってこそ、それを受け止めた上で生きることを肯定する部分です。
漫画の多くは、基本的に主人公はいいことをします。助けたり、悪者を倒したり、精神的に救ったり、良い面に作用する働きをします。
ナウシカは違います。むしろ逆を進む場面も描かれています。それでも逃げることなく、自分自身で受け止め、その先も生きること、使命を果たします。
宮崎駿監督の伝えたいことが漫画でも全くブレていなくて、説得力を持って漫画で表現されているのが圧倒的でした。スケールの大きな漫画でありながら、想像物としての説得力がありました。
ホラー漫画も好きなので、次は諸星大二郎先生の漫画も読んでみようと思います。

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