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生きなやむ人 その10

おはようございます。

4日ぶりです。少し日が空いてしまいました。誰にも見せないノートに色々考えを書き出してみることをあれからやっていました。
一番大事にしていることってなんですか?
「もっと自分を大事にした方がいいよ」と言われることと、「自分の人生の主人公は自分だから、他人に振り回されてばかりじゃなくて、もっと優先していいんだよ」と声をかけてくれう友人がいます。
優しい友人です。
生活の中で大事にしていることがもっと分かればいいのにな、という風に思ったので考えてみたり、自己中心性との違いやバランス感が結局いまいちわからなかったりしました。
今まで出会ってきた人の中で、ここは自分を大切にするから、という線引きができている人は羨ましいな、と感じたことがあります。いいなぁ、それができて、と思いました。優先されたり、尊重されたり、自分の身を守るための土台が育まれてきたのが眩しくって羨ましいな、と思ったのを思い出しました。嫉妬かもしれません。

恋人や、家族が身近にいることだったり、仲間内や職場からでも居場所があることが人にとって存在価値を認め合える安心できる場所を持てることが一つ大切なことなのかな、と思います。

あとは、ご飯を食べたり、体重が時には食べ過ぎて太ってみたり、痩せちゃったりした時に罪悪感を感じないこともできたらいいな〜と思います。お腹空いてご飯食べることに関して罪悪感を持つのはなんで?という感じですが、今社会人として働けていないことと、調子が悪い時は一日中横になっている時もあるので、生産性やスキルを活かせていない状態に役に立っていないという引け目を感じてしまうことがあります。
人はそもそも生まれて生きているだけで価値があるよ、とよく言われます。だから生存権といって社会保障がそのためにあったり、過去フランクルの『夜と霧』を読んでもそういう面についての話がありました。

今までの生活と変わってまだ1ヶ月くらい、仕事をおやすみして離れたのが3ヶ月なので、改めてみるとそこまで焦る必要はないのかな、とも思います。
職場の人や、事務的な手続きなど他にも定期的に連絡があったりして調子はどうですか?働かないんですか?
と事情説明が何人も話さないといけない状況があったりしたのも焦った要因の一つかな、と思いました。
病気休暇をとってそのまま退職して4月からは別のところに就職する方もこれまでみてきたので、そういう風に思われているのかも、とことばの節々から感じます。正真正銘のニートです。

マズローの5大欲求がありますよね。人間の欲の話です。
欲やまだ仕事の執着が残っている分、前向きに捉えられない部分もあるのかな、でも生存欲求の欲まで手放してしまえば死んじゃうよな、とかなんだかピラミッドに表された文字と、端的に書かれた欲を改めて眺めてみて端的に理解できるほど簡単な実感がまだ伴ってないな〜と感じたりしました。

不安なことがあった時、夢中になれる、または頭をそんなに使わなくていい受動的な方法に身を委ねることを始めました。
先日は、前の職場の後輩と、復帰した同僚から連絡があったため連絡しなくちゃ、と思い後輩と一緒に食事をしました。
食事は楽しく終えたのですが、後輩をタクシーで見送った後に、1人になると気が緩んで、40分かけて泣きながら歩いて帰りました。楽しいのは楽しいのですが、今はまだちょっと早かったという実感がありました。
翌日は、お酒を飲んでいたのもあったので体重が減っていたので、食事を取ってから一日中10日ぶりに何もせずに布団にこもっていました。一旦起き上がってみたものの、落ち込みが激しかったので前映画をみてフリーの日にしたのがちょうど10日前だったので何もしませんでした。目を開けないように布団にこもって、やっと起き上がったのが20時半でした。
10日に1回は大学のことも、関係する本を読んだり調べ物をするのも辞めてみる勇気を持つのが大切だな、と知ったことでした。

それから、今回、不安に囚われてばかりではなくって、今自分が大切にしたいと思っていることを目に見える形で残しておかないと、優先順位がわからなくなって苦しいかも、と思いました。なので、地道に考えて書き出して、読み返してみて、書き直してみて、というのをやってみました。
実は、まだ途中です。

最終的に、楽しい方に、明るい方に進んでいくことは大切にしたいな、と思っています。楽しい、というのは取り組んだ後の達成感だったり、知らないことを知ることができた時の喜びだったり、感情を揺さぶられるようなものや人とのつながりを持つことだったり、素直に素敵だな、と思えたり美味しいな、と感じたりできることです。あとは焦らずに、自分で実際に作ってみたり、取り組んでみたもの、そこから学んだことでこれまで、目に見えなかったものを言語化する作業、という部分に関しては引き続き分かるようにやっていきたいな、と思います。
安心を感じられるように、純粋に自分の好きなものを思い出して書き出す、ということもやってみると
結構癒されました。

例えば、ショッピングモールのビアードパパのシュークリームのバターの香りだったり、パン屋の香りが好きだったな〜とかです。つい深呼吸しちゃう感覚を思い出しました。あとはきなこやココアの揚げパンが好きだったな〜とかです。ささやかですが、健康を考えてふだん玄米とか味噌汁納豆ばっかり食べていると、なかなか美味しくバターの香りの豊かな美味しいものを素直に美味しいから!と子どもの時のようには食べられなくなってしまったな、と思いました。
小さい頃はメロンソーダが大好きだったけど、銭湯から上がって、買ってもらった紙カップに入ったメロンソーダやデカビタの黄色いジュースも、カップだと炭酸が弾けるのが見えるので、特別美味しく感じたな、とかです。
あとは自動販売機の飲み物を買う時の硬貨を入れる時の音が好きだな、とか、春先に咲く花より私は新緑の季節の緑の葉っぱや、赤ちゃんバッタを見つけた時の方が嬉しかったな〜とかもあります。

きっと皆さんも色々ありますよね。何も考えられない時と、周りの音がうるさく感じてしまう時には潔く1人で気が楽になるまで、過ごすのもいいことだな、と思いました。苦しい思いになるものからは身を遠ざけてよし、とします。会いたいな、また一緒に食事したいな、となった時にバランスを考えて会う約束をした方が相手にも失礼にならないと学びました。
自分を騙し騙しなんとか働いている方も実際には多くいらっしゃると思います。感覚が麻痺して、自分の好きなものや、大切にしたかったものがなんだったのか、考えるべきタイミングで立ち止まれなかったことが自分の良くなかったところだと反省しました。ただ、勇気がなかったり、子どもの時は親の意見が大きく関与するのもあるので、現実問題との話し合いも必要になってきます。

今に関しては、それで自分で立ち止まって考えてもいい時期が来たんだと受け止めて、素直にいろんな方面に取り組んでいくことをできるペースで続けていきたいです。


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