騒音がきます日記

とりあえず1週間毎日noteを投稿することができました。
今日は悲しいニュースが一つあり、11月に入るとすぐに工事が始まるということです。ご近所というか、ほぼ目の前の場所の工事なのですが、解体工事とは違い、8ヶ月を予定しているそうです。
月曜日から土曜日までの工事が予定で8ヶ月続くとのことで、かなりショックでした。
以前の家でも引越ししてから半年経たずに工事が始まり、それが1年近く続きました。
当時は夜勤があったのですが、仕事の間は家から離れていたのですが、今は夜勤がない代わりに家で作業している時間が長いのですが、騒音が苦手なので、困っています。
工事中は家が揺れるので、ノイズキャンセルで軽減するか、今後どうするか悩み中です。静かな環境に身を置きたいです。
事前にわかっていたら、引っ越すのを避けたのですが、今回も、前回も静かに過ごせたのが半年程度で、後の1年は騒音に悩まされていたので、しかも前の家でメンタルも調子を崩しているので、騒音に対する免疫がないのだと思います。
引っ越すにも、内見やら退去費や引越し代もかかり、時間も持っていかれるので今すぐには引っ越そうとは考えていません。
チラシ一枚で挨拶をされても、それが長期間だと嫌だなあ、という気持ちでいっぱいです。
残された静か時間をゆっくり堪能しようと心に誓いました。

最近強く感じたことなのですが、人生の歩いているレール、とよく表現されるレール、ですが、生きている限り、自分でレールを増設して進んでいて、他者と同じ時間を過ごしていても、同じレールに乗って進むことはできないんだな、ということです。
学生の時もすでに、授業時間は強制されていたとしても、部活動や、休みの日、授業以外の時間をどう過ごすかは人によって違います。同じ環境に身を置いて過ごしているため、同じレールに乗っているように感じていました。けれど、同じ時間を過ごしていても、見ている世界も、感じ取り方も、同じ言葉を聞いたり、音楽を聴いたりしても受け取り方や解釈が同じであることはないという現実です。
その現実をはっきりと自覚したのは、就職してからでした。同じ時間で時給換算すると人によって給料は違いますし、そもそも寿命も人によって違うのです。
けれど、早めに目標を達成できた方が良い、自己実現できた方が良いというのは、その先の残っている時間で表現したいことに多くの時間を避けることができます。また、手早いことは他のことにも色々と挑戦する余白が生まれるため、生産性ということでいうと良いことが多いのです。生産性という言葉は苦手です。
焦っている時や、漠然と不安な時に自分が生産性のない人間なのではないか、と考え始めます。それから、老後の健康寿命が長くないと、やりたいことがあっても老眼や、体力的な問題と付き合っていきながら挑戦することになります。これが、始めるなら早い方が良いと言われることなのかなぁ、と思いますが、健康であればなんでもできるので、要は長く健康であることが大事だということです。
ただ、それはわからないことなので、わからないことをそのままにしておく、ストレスに感じずに、放っておくこと、考えない引き出しにしまうことが課題です。
最近一つのことに集中できないので、それも困っています。座っていることが長いので、腰も痛くなりますし、散歩習慣を取り込むか、外へ出ての作業が今後あるので、モチーフを探しに行く散歩を取り入れようと思います。
良い対処法を見つけていきたいです!

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