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生き悩む人

第1回 見えないもの、見えるもの

2023年4月1日です。年末の12月31日になると、今年も終わるな、と思いますが、4月1日になると、そこもまた一区切り、年初めな感じがします。背筋が伸びる感じがします。今日からまた新しい連載をしていこうと思います。

私ごとのお話しですが、昨年度の2022年の冬に精神的な調子を崩してしまいました。診断を受けて、年が明けてしばらくもしないうちに休職しました。それから、元々3月末で退職のつもりでいたので昨日付の日付で退職しました。

社会復帰する先のことを考えると不安でいっぱいです。
4月からは二回目の大学生をします。今日に関しては、大学のシステムを4月1日の今日から詳細に授業内容や、選択できる授業の中身を詳しくみることができるため、午前中から年間計画を考えていました。
今回の大学に関して、今まで貯金してきた分を学費と生活費に充てる予定です。奨学金を借りるつもりはありません。
入学式も、オリエンテーションもまだなのですが、先の予定を考えておかないと、一日のやる事を具体的に考えることができないので、ペース掴めず、早く知りたいな、と思っています。
けれど、先のことを考えすぎてしまうと息詰まるので、オリエンテーションまではまだ待っておこうと思います。

待つこと、を先延ばしにすることを最近は意識してやっています。先延ばしにしようと思っても、何度も考えて、書き出して、というのをやらずにはいられないのですが、それでも途中で「そうだ、やめとこう」と考えて行き詰まる時間をなるべく少なくしようとしています。まだ練習中です。

今は桜を見ても、「咲いてるな」とは思います。だけど、「綺麗だな」と感じません。毎年友人とお花見に出かけるくらいなのに、です。そういう年です。今年は諦めました。

今日は午前中から図書館に行き、ヨシタケシンスケさんの本、坂口恭平さんの本を借りてきました。
今日借りたのは、ヨシタケシンスケさんの本の「欲が出ました」というタイトルの本です。
そこに「そうだなぁ」と素直に腑に落ちた文章があったので引用します。
そこには、不思議な持ち方のスプーンと、お箸の持ち方のミニマムなイラストが描いてありました。絵があるとさらに文章がスッと入ってくるのはどうしてなんでしょうか。

なぜうまくいかないのか。 それってつまり「持ち方が違う」みたいなことなんじゃないかしら、って話なんですけど。何かが思ったようにうまくできない時、それはそもそもの持ち方がおかしいんじゃないか、大前提を疑うってことも大事だなと。」「そもそもの持ち方、とらえ方っていうのをちゃんと教えてくれる人さえいれば、結構色んなところがうまくいくのかもしれません。

ヨシタケシンスケさん「欲が出ました」より引用

先月、沖縄の姉の子供と1週間過ごした時に、まだ2歳半の女の子なのですが、難しいことがあると彼女は「できないー!」と泣きました。「できないんじゃなくって、ムズカシイんだよ。だいじょうぶ」と言うと、律儀に「むずかしいー!」と言います。
そこからなんですが、実際に一緒にやってみて、それからできると、泣いているのがパッと切り替わって機嫌が落ち着きました。
彼女は体もまだ小さいのですから、できないことがあるのが当たり前です。だってまだ生まれて2年とちょっとしか経ってないんですから。当たり前です。
子供に対しては、できないこと、ヨシタケシンスケさんの言う「そもそもの持ち方の違う」場面に当たっても、大人にとっては簡単にできることが多いのですから、大人は一緒にうまくいく方法を教えてくれる人になります。

わたしの場合、精神的な調子を崩してしまったことで、私は考え方や、とらえ方や、性格だったりのそもそも、自身のどこかにそもそもの持ち方の違う場面に当たってしまっているような気がします。

それから、今日は養老孟司さんの「唯物脳」と言う本を途中まで読んでいたのですが、脳は「物質」、心は「機能」ということが書いていました。だから、解剖をして脳の部位を知ること、実物の臓器として見る、触れることができても、機能を見ることはできないと。それも確かにそうだな、と思ってなんだか納得したのでした。今のわたしは脳のどこかが機能不十分。診察の最初の頃に医師からはアルコールを摂取することで、前頭野の機能に影響して、普段しないようなことをしてしまったり、というのがある、という話を聞きました。確か、お酒を飲んで「気持ちがいいな〜」となっている段階ではまだいいのです。けれど、アルコールが代謝されて、抜けてくる段階で不安が強くなったり、衝動的な行動に走ったり、自暴自棄な行動になったりするのだと言っていました。気分循環障害的な作用であっていると思います。アルコールは依存性もあるので、お酒はやめたいな、お金も税金もたっぷりかかるしな、と思いますが、やっぱり1週間か2週間も経つと一回は飲んでしまいます。

心臓の機能は体に血液を循環させることです。
脳の機能の心は、なんだかより複雑です。
よく人に欠点のない人はいない、と言いますから、完璧な人がいないのは、人それぞれ脳の機能をどう使って、伝達して、体と一緒に成長してきたか、また、これから成長させていくか、というところで、機能が単純でないところが、脳の不思議なところで、人間らしさにもつながるのかな、と思ったりしました。

今後労働者として会社の雇われ人として生きていくのが嫌になってしまいましたので、正直なところそうじゃない生き方を探っていきたいです。今は結果は焦らずに色んなことを試してみる期間にしていきたいです。

人は畑の土のようなもので、畑の大きさも、蒔く種も、適した水のあげ方や量、日照時間だったり、手入れの頻度だったりは、その人に合ったやり方があると思っています。たくさん種を蒔くこと、は色んなことに経験を重ねていくことだと思います。畑の大きさにあっている量で種を蒔くことも大事なことです。そうやって納得していくことも大事です。
よく、自分のことが一番見えずらいとも言います。わたしの場合、他人の考えていることも見えにくいと普段思うので、人ってそもそもとても複雑な生き物だなぁ、と。

これから、この先「持ち方」がそっちじゃないよ〜となる場合、迷うことが増えるのは当然予想されます。新しい大学は人間関係を美術の道に関わる人との接点としたい、と言う目的もあります。引きこもりがちなので、今は家か図書館で一日の大半を1人で過ごしています。
働いてきて、社会の中で得たこととして、人と関わることでしか成長できない所があるのを実感しました。それを失ってしまうこと、私は特に孤立しやすいので、そこはカバーしておこう、という目的です。小学生の頃から、尊敬するのは野良猫でした。もはや人じゃありません。

初めてのことは2歳半だって、28歳の私だっておんなじです。私もつい「できないんじゃないかな。私には無理じゃないかな」と思うことがたくさんあります。だけど、これから進もうとしている道はやったことがなくて、初めてだからきっと「むずかしい」という状況が多いだけです。そもそも、好きな道に進もうとしているのですから、不安であっても、いいじゃない、初めての体験ができるのもいい経験、と思おう。という自分を自分で励ます方向性で生きていきたいです。合わなかったら、合わなかったことを知れた、ということです。

小さい頃はわからないこと、できないと感じていることは親や周りの人に聞いて、助けてもらえやすいのでとってもいいのですが、大人になってからはちょっと違います。
人によって、そん人の仕事でやっていることも、考え方も、また、独身の人もいれば家庭を持っている人もいて、ライフステージ、今立っている場所が人それぞれなのですから。誰に聞きに行けばいいのかわからない、探すところはまずそこからだ。というのが感じたところでした。
今年は素直に「教えてください。むずかしいです」と聞くことのハードルを下げていく努力をしていきたいです。些細なことでも聞いていこうと思います。また、大学の1回の授業を受けるのにも個別に費用がかかるのを知り、教えてくれる先生がいるのだから、どんどん活用していこう、と心に誓いました。

見えない部分を見るのが難しいということは、以前もnoteで書きました。なんだかその時もヨシタケシンスケさんの本を読んでいた時でした。

そういえば、なのですが、2つ前の芸術新潮の中で、ヨシタケシンスケさんと、養老孟司さんが対談している回があったのを思い出しました。そこで、ヨシタケシンスケさんは、美術の大学で酷評されたことをきっかけに、見えないものを見ないで描くほうに特化して進んでいったお話をされていました。
なぜ、養老孟司さんとヨシタケシンスケさんの組み合わせなのか、読んでいるときは内容がとっても面白くて気になりませんでした。
けれど、このお二人、見えないものを見ることに対しての理解されている部分が深いところ共通点かも、と思いました。

第2回に続けていきます。それでは読んでいただきありがとうございました。

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