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子どもが「本当に好きな動物」を言えるようになった

長らく東京で暮らしていた私が縁もゆかりもない地方に移住するという、ある意味「無謀」な選択をどうしてできたのか?
ーーそんなことを、あるメディアのコラムに書きました。

そこでは大小いくつかの理由を列挙したのですが、一番の原動力は「小学生になる子どもに合った環境で、豊かな経験をさせたい」ということでした。

それが長野県の小さな町に移住すればできそうだと思えたのはなぜか、改めて振り返ってみます。

内気な我が子が小学校に行ったら……という心配

うちの子は初対面の人や初めての場所などではとても緊張し、「こんにちは」さえなかなか言えなかったりします。

慣れた場ではしっかり意見を言ったりもしますが、それも自由気ままに発言しているというよりは、「これなら言っても大丈夫」と思えたことを口に出すという感じ。なので、「どんな動物が好き?」「好きなキャラクターは?」といった簡単な質問でも、「◯◯が好きだけど、そんなこと言ったら変に思われるかも……」などと考えて口ごもっていまうことが多いです。

保育園は0歳の頃から見ていてくれた先生方が多いし、小規模でのんびりした雰囲気で、勇気を出してあいさつしたり自分の気持ちを口にできるまで、ゆっくり待っていてくれるようなところがありました。

でも、きっちりとした時間割りの中で動いていく小学校では、保育園のようには待ってくれないだろうな。結果として、子どもは「口数の少ない大人しい子」として扱われるようになるかもしれないな……。言葉にならなくても子どもの頭の中ではたくさんの考えがめぐらされていることを知っている親としては、そうなったら残念だな〜と、子どもの小学校以降の状況を案じていました。

「対話」を重視する小学校に魅力を感じた

そんなとき、たまたま知ったのが大日向小学校の「イエナプラン」というコンセプトです。

イエナプランとは、一人ひとりの違いやその人らしさというものを尊重し、社会の中で自律しながら他者と共に生きていける人を育てていくことを目指す教育の考え方です(詳細は大日向小学校や日本イエナプラン教育協会のサイトをご覧ください)。

この考え方のもと、イエナプラン教育の学校では特に「対話」というものが重視されています。

対話するには人の話を聴くことも必要だし、自分の考えを話すことも必要。そのスキルをみんなで学んでいこうとする学校であれば、うちの子も自分の話を聴いてもらえる喜びを感じ、考えていることを話す自信も徐々についていくんじゃないかな、と感じました。

消極的選択、流されての中学受験はさせたくない

もうひとつ、中学受験のことを考えなくて良い場所に行きたい、という思いもありました。

東京では中学受験をする割合がとても高く、4年生になれば多くの子が塾に通い始めると聞きます。

私は、感性豊かな子ども時代には社会や自然の中で様々な経験をし、そこからたくさんのことを感じて学んでほしい。だから、受験勉強に多くの時間を費やすのはもったいないと思うのです。

もちろん、子どもに合った良い学校があれば、そこを目指して受験準備をするのもひとつの選択です。

でも、そういう学校ってきっと競争率が高いから相当にがんばらないといけない。そのがんばりに見合うものが得られるだろうか? 失敗したときのダメージは?
ーーそう考えると、どうしてもモヤモヤしました。

「だったら公立中学に行かせれば」と思われるでしょう。でも、東京では「公立中学の質が心配だから」という消極的な理由で受験を選ぶケースも多いと聞いて、数年後に大いに迷う自分の姿が想像できました。子どもの性格的にも、「◯◯ちゃんがやるなら、私も!」と言い出しかねない。子どもが挑戦すると言っていることを突っぱねるのは難しいだろうし、このまま東京にいれば受験と全く無関係にやっていくのは無理かも……と感じていました。

だけどそれも仕方ないこと、と半ば諦めていたところ、大日向小学校のことを知りました。

「この小学校なら子どもの性格に合いそうだし、東京から離れれば中学受験問題に悩まなくてすみそう。一石二鳥だ!」というわけで、私は一気に目の前がひらけた気持ちになったのでした。

「馬が好き」と言えなかった保育園時代

うちの子は馬が大好きです。

日本では馬を題材にした子ども向けのコンテンツをあまり見かけないですが、アメリカでは一定の人気があるみたいで、Netflixには馬が出てくるアニメや子ども向けドラマがたくさんあります。「マイリトルポニー」「レイヴン」「ポニーシッター・クラブ」「スピリット」などなど…、うちでは何度も繰り返し観ています。

それほどまでに馬が好き!…なはずなんですが、保育園の頃に「好きな動物は?」と聞かれると、子どもはモジモジして答えられないか、「ハムスター」と答えていました。

たしかに、ハムスターのイラストや写真を見ると「かわいい♡」と喜びますが、ハムスターより断然、馬への熱量が高い。「どうして馬って言わないのかな」と不思議に思ってました。

子どもはドラゴンや恐竜も好きで、Netflixで「ヒックとドラゴン」のシリーズにもハマりました。うちにいるときは「トゥース! トゥース!」とドラゴンの名前を連呼しているので、「保育園でもヒックとドラゴンの話をしてるの?」と聞くと、「しない」と。

理由を聞くと、「ヒックとドラゴンを知ってる子があんまりいないから」と。でも、それだけではないような気がしました。

その後もときどき「どうして馬が好きって言わないの?」「ドラゴンの話、しないの?」と聞いてみるうちに見えてきたのが、「他の子と違うから、恥ずかしくて言えない」という気持ち。「女の子が馬やドラゴンを好きなんて、変だと思われるんじゃないか」と思って、言いたくなかったみたいです。ハムスターなら、あの年頃の女の子たちはたいてい「かわいいよね〜!」と盛り上がれるので安心して言えるんですね。

保育園のお友だちが「馬が好きなんて変」と言ったりはしないと思うのですが、子どもたちの間に「みんなと一緒が安心」「同じになりたい」という雰囲気はたしかにあったと思います。

「多様性が大事だ」「ダイバーシティだ」と言う私たち大人も、まだまだ頭で理解しているだけで実際に多様性を受け入れられているかというと怪しい。ましてや子どもたちの世界は理屈じゃないから、「みんな違ってていいんだよ」なんて言葉だけでは伝わらない。大人の側が努力をして体現してみせないと、違いを良いものと捉えるようにはならないんだと思います。

移住と入学後の変化

大日向小学校が依拠するイエナプランという教育のコンセプトは、「どんな人も、世界にたった一人しかいないかけがいのない存在である」という人間観から出発し、誰もが「その人らしく」成長していける社会を目指しています。

だから先生方が子どもたちに対するときも、他の子と同じであることを求めるのではなく、違いを認めようとする姿勢があります。また、1〜3年生、4〜6年生がそれぞれ混じり合う“異年齢クラス”で毎日過ごし、教科の勉強は個々人のペースでやっているので、「3学期の今は全員が二桁の足し算をやっている」というような“当たり前“がありません。みんなペースが違うし、得意なことも苦手なことも違うから、1年生が3年生に教えるようなこともあり得ます。そういう環境で過ごしていると、子どもたちも「互いに違うことが普通」という感覚になってくるようです。

さて、我が子の話に戻りますと、小学校に入ってまもなく「好きな動物は馬です」と躊躇なく言えるようになりました。これは小学校で多様性を受け入れる姿勢が身についたからというよりも、土地柄が大きいように思います。

今住んでいるところでは、車で30分から1時間走る間にいくつもの牧場があり、子どもに乗馬を教えてくれるところも見つかりました。身近に「僕も馬が好きだよ」というお友だちや先生がいて、安心して言えるようになったという面が大きそうです。

それでも、私にとっては嬉しいことです。東京では「馬が好き」という子はいなかったけど、長野に来てみたら結構いた。それも「多様性」に気づく最初の一歩なんじゃないかと思うのです。

保育園のときは、お友だちが上手にできることが自分はできない……と拗ねることがよくあったのですが、最近は「◯◯ちゃん、鉄棒がすごいんだよ! 私はまだできないけど、教えてもらってるんだ〜」など、素直に友だちを称賛する言葉が出てくるようになりました。嬉しい変化だし、子どもの言葉をきっかけに私自身も、自分の思考のクセとかあり方を振り返ったりすることが増えています。こういう環境で子どもがどんなふうに育っていくのか、とても楽しみです。


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