感染症と日本インカレ

今年ほどではないが、私が大学にいた時も感染症が流行ったことがあった。
しかも日本インカレの直前に。

夏休み中だったので授業がなく練習だけをする日々だったが、学内に感染が疑われる人が出て状況は一変する。(この人は結局ただの風邪だったらしい)

学内封鎖

学内施設の閉鎖が決まりグラウンドが使えなくなった。
それが決まった日はまず急ピッチで翌日練習する競技場の手配と移動手段の確保をした。(地方の大学なので、学外のグラウンドへは基本的に乗り合いの車移動)

監督からは、日本インカレ出場選手以外は休みとすること、地元に帰ることも含めて各自判断してできる練習をすることが伝えられた。

そして、日本インカレの選手と主務だけが残った。

練習を止めるな

ここからが主務の腕の見せ所だった。
選手のワクチン摂取と練習場所の確保、インカレまでの準備の練り直しが始まる。

地元の選手には掛かり付けの病院でワクチンを探してもらいつつ、大学周辺の病院へ電話をし続けてワクチンの在庫を確認して、在庫がある場所に選手を行かせた。

そして、もう一つの問題は練習場所だ。
日本インカレまで数週間あったので、それまでの使える競技場を近い順にチェックしていった。
大学から車で1.5時間圏内くらいの競技場はほぼ確認したと思う。
平日は良いのだが、やはり土日は競技会などが入っているので、そこの確保がしんどかった記憶がある。

それらを一晩でまとめあげて、監督とともにインカレまでの予定を組んだ。

ワクチンがとにかく足りなかったので、その時いた主務の一人は片道4時間かけて地元の病院でワクチン摂取だけしてとんぼ返りするということも…(笑)

選手しかいない、というのが主務にとっても辛い。
練習の準備を頼める人が少ないわけだし、何より練習のタイムを計る人が足りない。

陸上競技は当たり前だが正確なタイム計測が求められるし、短距離の場合は特に練習でも0.1秒を気にする。雑なタイム計測はできないし、長距離のように選手自ら計ることもない。

嬉しいことにあの年はインカレに出る選手が30人くらいいてほぼ短距離だったので、その人数のタイムを二人の主務でほぼ取りきった。

そんな苦労もあった。

努力は報われる

主務のおかげではない。
選手がどんな環境でも練習に集中して大会に合わせたことが結果に繋がった。

散り散りになった部員たちは全国から国立競技場に集まり声を枯らして選手の背中を押した。

国立競技場のポールにはじめて大学旗が掲げられて、学生歌が流れた。

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