名古屋の戦争遺跡と近代化遺産
ガイドは、伊藤厚史さん、「まち歩き」で、今日が最後(10/27参照)。資料は、地図2枚(現在の地図に古い地図を重ねた物と明治17年の地図)とプリント4枚6ページ。
地下鉄「砂田橋」を出発し、「自由が丘」まで、まち歩き。
先ず、鍋屋上野浄水場の爆撃の被弾跡がある赤煉瓦の旧第一ポンプ所(平成4年までは使われていたが、今は使われていない)と神葬墓地。墓地まで上がってみると、被弾し欠けた墓石があった。さらに旧ポンプ所の被弾箇所の修復跡が、放射状に見える。ここからナゴヤドームも見える。
市民の憩いの場である「すいどう道」を通り、上野城跡に。
城の存在を示す物は無いが、上野小学校の北半分は城域だったとのこと。下方氏の居城であったことは、下方町という地名に残っている。
さらに行くと、「陸軍」と書かれた石柱。隣には道標もあったが、ここまでを、陸軍が演習場として使用していた印である。
さらに歩くと、すっくとしてかっこいい東山配水塔が目に入る。
天満橋水道橋を渡って「水の歴史館」へ。
陸橋からの見晴らしは遠くまで見渡せ大変良い。「水の歴史館」で休憩、美味しい水は疲れを癒やしてくれた。
さて、目当ての日清戦役第一軍戦死者記念碑。高さ10mの砲弾型の碑である。こんな所にこんな高いものがひっそりとあることに驚かされた。元は中区役所交差点にあったが大正9年(1920)に移された。
最後に、日泰寺の墓域。関東大震災横死者追悼之碑など多くの碑。橘宗一墓(大杉栄が殺された時に巻き添えで殺された6歳の少年)。なんと、俳優の宇津井健の墓もあった。また、当然だが、CA(名古屋商業高校)は隣だ。
もっと詳しく知りたい方は「再発見名古屋の歴史と文化」ガイド著風媒社刊をご覧あれ。
■今回参加したまち歩き
■まち歩きなごや
https://yattokame.jp/2020/machiaruki
■やっとかめ文化祭
https://yattokame.jp/2020/
【やっとかめ文化祭2020】
2020/10/24(土)〜2020/11/15(日)
参加方法はプログラムによって異なります。
詳しくはやっとかめ文化祭公式ウェブサイトよりご覧ください。
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