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小説 開運三浪生活 42/88「2.25」

人生二度目のセンター試験は、大敗だった。

高校三年の時のセンターは、英語のマグレ当たりが効いて文生にしては上出来の合計七割近くを得点したが、二度目の受験は五割も取れなかった。二次試験の受験科目である数学と化学にばかり勉強時間を割いてきたので英語はからっきしだったし、もともと自信のあった国語と地理でさえも六割しか取れなかった。そして肝腎の数学と化学も使い物にならない点数だった。さすがに目の前が真っ暗になった。

二次試験でよほどの高得点を取らない限り、広大に手が届かないのは明白だった。予備校の判定結果を待つまでもなかった。それでもこの誇り高き男は、「まだ残り一ヶ月ある」と自分自身の頑張りに一縷の望みをかけていた。

――こっから俺は死に物狂いになる。E判定から大逆転してやる。

予定どおり、文生は二次試験の前期日程も後期日程も広大総合科学部に出願した。だれにも相談はしなかった。

果たして決死の一ヶ月はあっという間に過ぎ、二月二十五日が来た。前日に仙台から飛行機で広島に飛び、半年ぶりの西条駅に降り立った文生は、ご丁寧に受験会場の下見に向かった。寒風刺すような岩手の冬の比ではなかったが、この日の西条は案外寒かった。西条駅前から広大行きのバスに乗り、ブールバールという通りを上っていると雪が降ってきた。想定外の景色に、文生は驚いた。

西条には当時ホテルが少なかったため、ほとんどの受験生は電車で四十分弱の広島市内のホテルに泊まる。文生は早く起きられる自信がなかったので、西条駅の近くに宿を予約した。宿泊したのは、西条駅から徒歩十分、その名も西条荘という小さな旅館だった。

西条は酒どころである。酒蔵や赤い瓦屋根の落ち着いた家々が並ぶ、静かな街の一角に西条荘はあった。とにかく家庭的な宿で、その日は文生以外にも三人の受験生が泊まっていたが、小さな食堂で四人掛けのテーブルを囲み、食事が始まった。ほかの受験生は宿の女将さんと談笑していたが、文生は会話に参加する余裕などなかった。ひとり黙々と素朴な料理を口に運んでいた。

部屋で一人になった文生は、なかなか寝つけなかった。かと言って、今さら問題集を見直す気にもなれなかった。そのくせ、やるべきことはやった、という充実感もまるでなかった。センター試験後の一ヶ月、赤本を開いてはあまりのわからなさに絶望し、その都度教科書に立ち返ったが、理解への道のりの長さにいちいち茫然とした。夏からトボトボと受験街道を歩いてきたが、学力を身につけると言うよりは、自分の無学を再確認する日々だった。数学と化学への苦手意識はさらに膨れ上がり、知識は圧倒的に足りなかった。高校三年間、勉学をさぼっていたツケはさすがに大きかった。

翌日、文生は試験に臨んだ。人智を超えたどうしようもなく巨大な怪物に、何の戦略も、武器も、希望すらも持たず、ただ向かっていくだけの真っ白い心境だった。

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