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小説 開運三浪生活 3/88「されどオリエンテーション」

公共政策学部の講義室に入ると、すでに七、八人の学生がオリエンテーションの開始を待っていた。留年するような不真面目なヤツはどうせ男子だろう――と自分のことを棚に上げて文生は決めつけていたが、女子も数人いた。さっと見渡したところ、幸い顔見知りは見当たらなかった。文生は心底ほっとした。

「あれ? ひさしぶりじゃん!」
「てっきり辞めたのかと思ったっけよ」
「いったいどこ行ってたの?」

そんなごもっともな質問攻めに遭うことを、文生はゆうべからひどく怖れていた。彼の顔は無表情だが、面の皮は厚くない。赤面・滝汗・挙動不審の醜態三点セットをさらすリスクを回避したことで、まずは一安心といった面持ちだった。

想像に反して、留年生たちはイケイケの若者たちばかりだった。彼ら・彼女らにまったく悲壮感がないのが文生には不思議だった。

「いやぁ、ほんとにダブっちゃったね~」
「これから週一だけ大学に来んの、マジだるいっけよ」
「わたし、せっかくだから資格でも取ろうと思ってんのさ」
「マジ? 俺はもうひたすら稼ぐよ、バイトで」
「それよりみんな、今日このあとどうすんの?」

盛り上がる一団の会話を背に、話し相手のいない文生は独り、折り畳み式の携帯電話をひらいて無駄に眺めるほかなかった。しかし、モノクロ表示の低機能携帯では、ネット検索をしてところで大した暇つぶしにはならなかった。文庫本くらい持ってくればよかったと悔やんだが、出がけにそんな余裕を持てる彼ではなかった。

オリエンテーションは予定の一時間よりも早く終わった。教壇に立った老教授は、履修上の注意をはじめとする事務連絡をのんびりとした口調で伝えると、飄然と去っていった。てっきり留年の不手際を厳しく責められるものと内心ビクビクしていた文生は、いささか拍子抜けした。

講義室を出ると、緊張から解放された文生は喉の渇きを覚えた。岩手に戻ってから初めて県大に足を運び、ひさしぶりに講義室の狭い椅子にじっと座っていたので、多少疲れたのかもしれなかった。普段飲まない炭酸が、無性に飲みたくなった。

――そうだ、ロビーに自販機あった。

紙コップのコーラで一服することに決めると、文生は学部棟の出口に向かった。


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