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小説 開運三浪生活 27/88「適性無視」

文生は三年生になった。高校生活後半からの巻き返しを期したまま、実態は相も変わらず劣等生のままだった。五教科全体の偏差値は毎回40代の前半をさまよい、肝腎の数学と化学と生物に至っては、偏差値30代とまったくお話にならないレベルだった。記述式の模試になると答案に何も書けなかった。試験中は退屈で、苦痛で、やるせない時間だった。そのくせ、センター試験でしか使わない国語と地理は無駄に快調だった。まったく勉強しなかった現代文は長文読解問題が好きで、自分が読んだことのない小説やらエッセイやらに出会えるのを毎回ひそかに心待ちにするほどだった。

理系科目が苦手なくせに、中三の時に思い立った「環境問題の勉強がしたい」という気持ちは一切変わっていなかった。ただ、具体的にどんな学問をやりたいのかまでは掘り下げていなかった。といって、誰かに相談する気もなかった。

環境問題は広い。だからこそ、幅広く学べる学科を――化学や生物や農学だけでなく、法律や経済も勉強できるカリキュラムが文生の理想だった。そして、それは理系の学科でなくてはならなかった。いくら国語と地理が得意だとはいっても、それは本来の自分の姿ではなかった。文系の学科に進むのは逃げのように思えた。

長崎大の環境科学部や神戸大の発達科学部、広島大の総合科学部、滋賀県立大の環境科学部など、当時まだ目新しかった名前の学部が受験先の候補に残った。揃いも揃って西日本の大学ばかりだった。クラスの大半が関東か東北の大学を志望するなか、みんなと同じようなところはつまんねえなと文生は思った。私立は初めから考えなかった。「うちは私立にやる金なんてないから」と小学生の頃から母親に釘を刺されていたからである。

最終的に文生が志望校に決めたのは、熊本大理学部の環境理学科という、その年から募集が始まった新しい学科だった。候補に挙げたほかの大学が文理融合をうたいながら実は入学後に文系コースと理系コースにはっきり分かれてしまうのに対して、熊本大は理科系の勉強をメインにやりながら文系の勉強もできたからである。

志望校を決めるにあたって文生は、怖れ多くも偏差値をまったく度外視した。熊本大にしてもほかの大学にしても、文生などの学力では到底手の届かないレベルだった。それでも、夢見がちな彼は巻き返せると思っていた。高三の夏のことだった。

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