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小説 開運三浪生活 1/88「出戻り県大生タサキフミオ」

――着いちったか……。

新幹線代を惜しんで東北本線を北上すること七時間。昼下がりの鈍い陽光に包まれたホームに降り立つと、盛岡特有の凛とした空気がタサキフミオの頬に突き刺さった。北国の春の始まりを感じさせるその匂いが、彼は嫌いではなかった。否、むしろ結構好きだったのだが、認めたくなかったのである。

――ここじゃねえんだ、俺の居場所は!

駅構内の階段をトボトボと降りながら、小柄なハタチの青年は腹の底でひとり息巻いた。幸い、声には出ていなかったし、手足も表情筋も暴れていなかったので、道行く盛岡市民の顰蹙を買わずに済んだ。そもそも彼の顔は、喜怒哀楽の起伏に乏しい。加えて、ひとりで歩行する時は常に幾ばくかの緊張をともなっていた。青白い顔に地味なパーカー姿は、ハタから観ると気弱で気難しい貧乏学生にしか見えなかった。

三月の末、広島での予備校生活を失意のうちに切り上げた田崎文生は、再び岩手の住人となった。籍だけ置いていた県大に復学するためである。一昨年の四月に県大に入学した文生は、その年の夏に一念発起して再受験を決意したものの、二年連続で広島大の総合科学部に落ちていた。総科の入試は科目の異なる理系受験と文系受験に分かれており、文生は理系で受験していた。予備校でもう一年頑張っても駄目だったらおとなしく岩手に戻るという約束で親から浪人の軍資金を引き出し、乾坤一擲のつもりで東北を飛び出した彼は、一年かけて戦備を整え広大総科に再戦を挑んだが、あえなく撃沈した。敗残兵となった文生は、愚痴を垂れつつ悄然と岩手に戻ったのだった。母なるイーハトーブの大地は、そんな身勝手な青年を拒まなかった。

引っ越しの荷物が新居に届くまで、まだ時間があった。文生はアパートに向かう前に盛岡の街なかへと向かった。岩手で唯一好きだった景色を、まずは拝んでおこうと思い立ったからである。

盛岡駅の東口を出て五分ほど歩き、北上川を渡るとすぐその場所に着いた。開運橋の袂の細い道路に入り、人目を少し気にしながらくるりと後ろを振り返る。危うくよろめきながら視線を向けた北北西の方角に、雪をかぶった岩手山が見えた。

――やっぱ、でっけえ。

南部富士の異名をとるこの山は、本家富士のような優雅な山容とは違い、身丈はやや低いがどっしりとした迫力がある。山塊という言葉がよく似合っていた。青地に白の静かなコントラストが、文生の視線をとらえて離さなかった。

この一年で一人の青年の身に何が起きようと、北上川は悠々と流れ、岩手山は雄々しく雪を戴き、盛岡の街は変わらず穏やかに動いていた。それまで文生を覆っていた、受験に失敗した悔しさ、大して期待も持てない新生活への虚しさに混じって、一分の懐かしさが芽生え始めていた。――と気づいて、彼はすぐにその感情を押し殺した。あくまで部外者として、この街に佇んでいたかったのである。

ものの五、六分しか経っていなかったが、文生はそろそろ本格的に通行人の視線が気になり始めたので、急に踵を返した。平日の夕方に、わざわざ立ち止まって岩手山を仰ぐ人はほかにいなかった。誰もが急ぎ足で開運橋を行き交っていた。

開運橋は、二度泣き橋ともいう。一度目はこんなに遠くまで来たかと泣き、二度目はこの地を離れがたくなって泣く。文生は一年前に岩手を後にしたが、その時は岩手を出たい一心だった。ただでさえ自分のことでいっぱいいっぱいの彼の心に、わずか一年を過ごした土地への愛着など生まれる余地もなく、泣きたいほどの離れがたさも感じていなかったのである。

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