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小説 開運三浪生活 59/88「雪が降らない町」

十二月の中旬をもって川相塾の後期の講義は終了し、そこからクリスマスイブにかけて五日間の冬期直前講習が組まれていた。文生からすれば、まだゴールすら見えていないのに時間だけが着々と過ぎていく感覚だった。

冬期直前講習には、前期以来ご無沙汰していた講師たちも登壇していた。そのなかに、英文解釈の鬼、中本の姿もあった。前期の講義では女子生徒を泣かすほど容赦しない駄目出しをしていた中本だったが、冬期直前講習では打って変わり、前向きで威勢のいいコメントで浪人生たちを鼓舞していた。

「ほいじゃあ、次の問題。キミ答えて。――ほうじゃ、バッチリじゃ。これで本番も怖くないな。はい、次――」

講義はサクサクと進んでいった。

最終日、中本はこう言って講義を締めくくった。

「年末年始もしっかりやりんさいよ。きみたち浪人生なんじゃけん、絶対リベンジせえ。ええか、現役生になんか負けるなよ。でも今日はせっかくのクリスマスじゃけ、家族の皆さんとおいしいケーキ食べてください。わしも食べるけね」

クリスマスにさほどの思い入れもなかった文生だったが、途端に孤独を感じた。せめて寮にでも住んでいれば侘しさもまぎれただろうか――と詮無いことを思いながら、帰り道のダイエー駅前店で敢えてクリスマスケーキに手を出さず、いつもどおりに総菜を購入するのだった。

帰宅すると、数ヶ月ぶりに実家の母親から電話が来た。

「文生……年末年始はさすがに帰んないのけ?」
「帰るわけねーばい」

例によってにべもなく答える文生だった。

「あ……そうだよね。勉強忙しいもんね。順調なのけ?」

その勉強が苦境にあるとはおくびにも出せず、さすがに心苦しさが突き上げてくるのだった。

「着実に伸びてるよ」

半分本当だったが、合格ラインには遠かった。それで安堵したのか、母親は思い出したようにこう切り出した。

「成人式どうすんの? 招待状来てっけど」
「出ない。捨てといて」

翌年の成人の日は一月八日で、センター試験は一月十三・十四日だった。仮に年末年始に帰省するにしても八日まで逗留するのは長すぎるし、実際、センター試験の直前に長旅を充てるのはロスでしかなかった。

そもそも、文生は同級生たちに会いたくなかった。かつて何かと突っかかってきたタツヒコの意地の悪い顔が思い出された。きっと今ごろは、ダサい茶髪だか金髪のチャラチャラしたあんちゃんに成長しているだろう。そして、万が一、自分が浪々の身だと知れば(もちろん馬鹿正直にそんなことは明かさず、岩手で大学生をしていると嘘の方便をかますに決まっているが)、勉強しか取り柄のなかったインテリづらの文生の零落ぶりに、タツヒコ以下の野次馬たちが欣喜雀躍するのは目に見えていた。

いずれにしても、精神衛生的にも受験準備的にも帰省しないほうが安全に思われた。

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