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小説 開運三浪生活 43/88「捲土重来」

充分に予想できたことだが、文生は実にあっけなく広大に落ちた。

前期も後期も、まともな答案など書けなかった。手応えどおりの結果に、悔しいとか悲しいといった感情は生まれなかった。ただ、惨めだった。

――予備校行かねえと無理だな。

さすがの文生も、独学ではどうしようもないことを悟った。まったくもって広大を舐めていた。

あとはどこの予備校に行くかである。実家に戻るという選択肢はなかった。最寄りの予備校まではバスと電車を乗り継いで一時間半かかるし、そもそも浪人していることが近所にバレたら勉強どころではなくなるに決まっていた。優等生だったはずの文生が浪々の身であると世間が知ったら、騒がないはずがなかった。

では、このまま岩手にとどまるのか。そうなると滝沢村から盛岡市内の予備校に通うことになるが、もともと文生にとって縁のない土地である。もう一年ここにいてもしょうがねえな――そこまで思い至った時、文生の発想は飛躍した。

――どうせ行くんなら、広島に行ったほうがいい。

広島の予備校なら、広大受験専用のコースもあるだろうし、広大にまつわる情報も耳に入りやすいに違いなかった。何より、志望校が近いことはそれだけでモチベーションになると思った。

文生は広島の予備校に入りたい旨を親に告げた。我が子がいまだに頭脳明晰で本当はもっと勉強ができるはずと思い込んでいる母親は、文生の申し入れをわがままではなく向学心と受け取った。「今年一年頑張って、駄目だったら岩手に戻る」という条件で、文生は予備校に入る権利を得た。

三月の下旬、岩手県内の実家に帰省中の貫介に、文生はメールした。もう三ヶ月以上、会っていなかった。

「すごいな。広島か。じゃあ、しばらく会えないね」

文生の決断を、驚きをもって受け止めた貫介の反応が返ってきた。確かにしばらく会えないだろうなと文生は思った。広島と岩手は遠いし、四月からは休みなく勉強しなくてはいけない。今回の受験で、文生は広大に受かるために自分がこなすべき膨大な勉強量を知った。

受験を取りやめるなどという考えは起きなかったし、もっと手の届きそうな偏差値の大学に切り替えようという気も起きなかった。

――広大に受からなかったら、その先の人生はない。

文生にはもう広大しか見えなかった。苦手な理系科目を克服して広大に合格することが、文生にとっての「自分復興」だった。

滝沢村のアパートを引き払う数日前、文生は休学の延長手続きで県大を訪れ、その足で源田の研究室のドアをノックした。秋にパスタを奢ってもらって以来、五ケ月以来の訪問だった。源田は文生の顔を見ると、一瞬きょとんとしてから「おお」と微笑み、読みかけの文献を置いた。「どうですか、その後」。

文生は受験に失敗したことを報告し、四月から広島の予備校で勉強して来年もう一度受験することを伝えた。不合格という結果には少し残念そうな顔をした源田だったが、訥々と絞り出す文生の言葉を終始にこやかに聞いていた。

「そうか、もう一回チャレンジするんだね。やっぱり、納得できるまで続けた努力は自分のものになるからね。広島での生活も、きっとプラスになるよ」

去り際、源田はこう言って文生を送り出した。

「だいじょうぶ。若い頃の一、二年なんて、すぐ取り返せるよ」

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