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日本における歴史小説史関連書籍紹介

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 本エントリにおいて、「歴史小説」の語を「歴史的事実、歴史上の人物の事績が深く物語の構造に関わる小説群」と定義する。各論者の用語を引く際にはその限りではない。


忙しい人のための日本歴史時代小説史概略

 日本の歴史小説は大きく分けて
・西洋のnovelを咀嚼して誕生した「歴史文学」
・落語、講談や戯作を淵源とする娯楽「大衆文芸」
 二つの場で展開されてきた。
 歴史文学は「novel(文学)のために」、大衆文芸は「読者のために」発展を遂げた経緯があり、発想の源に距離がある点にまず注意されたい。

 歴史文学においてはnovel受容当時の西洋文学の動向もあって自然主義文学の系統が優勢で、伝統的に「歴史に忠実な」歴史小説を是とする空気感が強かった(ただし、森鷗外「山椒大夫」「高瀬舟」、芥川龍之介の王朝ものなど、「歴史に忠実な」歴史小説から離れる模索はされ続けていたが、文学理論論争上は否定されがちであった)。その傾向は戦後、ロマンを前面に置いた井上靖などの登場を経ても変化はなかった。
 2024年現在、歴史文学は道統としてはほぼ消滅し、僅かに純文学作家や文芸作家の一部が散発的に著すに留まる。

 一方、大衆文芸については内実が複雑である。明治期から厳密な考証を売りにした(明治期にこの呼び名は存在しないが便宜的に用いる)大衆文芸作家はいたが、多くの作家は考証は二の次、当時人気だった講談速記本(簡単に言うと、講談を活字化した本)の影響を大に受けた、娯楽作を書いていた。
 この傾向に変化が訪れたのは大正末期から昭和初頭である。三田村鳶魚『大衆文芸評判記』(1933)での時代考証批判を経て、大衆文芸にも考証を求める読者が増え、厳密に時代考証を行う大衆文芸作家が増加した。だが、あくまで大衆文芸は目の肥えた「読者のために」時代考証を厳密化していった点には注目しておくべきだろう。そして、時代考証を厳密化する作家がいる一方、考証を二の次に置き娯楽性を一に置く作家や、その作家の作品を支持する読者が多く存在したことも見逃してはならない。
 大衆文芸のこうした”分裂”は、のちに勃興したエンターテインメント技法にも影響を受けつつ、2024年現在も残存している。史実性を重視する立場は斯界のスタンダードとすらいえるし、史実性以外に力点を置く大衆文芸的な立場は、現代文学・文芸において一般化した「幻想文学(文芸)」と近似しており、2024年現在、様々な角度から新作が発表されている。

 ここで釘を刺しておかねばならないのが、2024年現在、「100%純度を誇る歴史文学作家」も、「100%純度を誇る大衆文芸作家」も存在しない事実である。大衆文芸に身を置く筆者も森鷗外や芥川龍之介といった歴史文学作家の本を読み、影響を受けている。本邦の歴史小説史を紐解けば、元々は大衆文芸の一ジャンルである股旅物で人気を博しながら歴史文学で模索されてきた枠組みである史伝に接近した長谷川伸や、元々文学同人であったにも拘わらず心ならずも大衆文芸に転向した下村悦夫、歴史文学と大衆文芸の橋渡し役ともなった菊池寛、(歴史文学で構築された枠組みである)史伝で大衆の支持を得た海音寺潮五郎など、歴史文学と大衆文芸の狭間に立つ作家も多い。そもそも、文学的動機のために史実を重視する歴史文学の主流派と、質の高い娯楽の創出という動機のために史実を重視する大衆文芸の一派は、「史実を重視」する点において軌を一にしており、元々二者には接近の余地があった。
 本邦の歴史小説史は、歴史文学と大衆文芸の混淆と相互参照の歴史であったともいえる。

歴史文学史の参考書籍

坪内逍遙『小説神髄』1885-1886

【谷津MEMO】
 日本の近代文学史の曙の一冊とされる文学論。歴史小説についても記載がある。
 本文の『歴史小説の裨益は正史の遺漏を補うにあり』に、坪内の歴史小説論のすべてが詰まっているといえよう。
 なお、続く『歴史小説に就きて』で坪内は「歴史的舞台及び外飾を単に方便として用ひたる作」(旧字は新字に改)を仮装的散文叙情詩、あるいは抒情的歴史小説と名付けたい、とした。が、この坪内の論を巡り、高山樗牛(思想家として有名だが、歴史小説『瀧口入道』の著者でもある)との間で日本初の歴史小説論争が発生している。

森鷗外『歴史其儘と歴史離れ』1915

【谷津MEMO】
 森鷗外の自作解題。史実性の薄い『山椒大夫』を描いた際の心境が記される。本作で示された「歴史其儘」「歴史離れ」の語は、後、歴史文学者のみならず、歴史創作一般で用いられるに至る用語の一つとなる。

岩上順一『歴史文学論』1942 改版1947

【谷津MEMO】
 ルカーチの『歴史小説論』(※)を下敷きに、森鷗外、芥川龍之介、島崎藤村の実作を比較。この思考の枠組みは後に続く菊地昌典や大岡昇平らに深い影響を与える。
 その一方で、大衆文芸の系統に位置する塚原渋柿園について後書きで言及したことで、後の論者たちが歴史文学の俎上に載せて大衆文芸を批判する素地を生んだともいえる。

(※)ルカーチ『歴史小説論』
 スコットの歴史小説に高い史実性と当時の精神性の反映を見、スコットの登場を以て真の意味での歴史小説が登場したと説明づける。

菊地昌典『歴史小説とは何か』筑摩書房 1979

【谷津MEMO】
 1960年代以降の歴史小説ブーム(正確には大衆文芸ブーム)に触発され、ソ連史学者である著者が書き上げた歴史小説論。
 当時の人々の心象風景と無関係な歴史小説を「歴史借景小説」、心象風景をも取り込んだ歴史小説を「歴史小説」と呼ぶ。坪内や岩上の論を先鋭化させ、当時の大衆文芸作家たちのスタンスを批判。
 なお、文芸評論家の尾崎秀樹との対談をまとめた『歴史文学読本』(平凡社 1980)においては態度が軟化し、大衆文芸作家たちの仕事に一定の理解を持ちつつ自らの問題意識を提示するようになる。歴史文学論を突き詰めた大岡昇平に苦言を呈する一幕も。

大岡昇平『歴史小説の問題』文藝春秋 1974

大岡昇平『文学における虚と実』講談社 1976

【谷津MEMO】 
 歴史文学者の側面も持つ大岡昇平の歴史小説論。前者は井上靖との論争、「蒼き狼」論争のきっかけとなった『「蒼き狼」は歴史小説か』などが所収。後者は森鷗外の歴史其儘の実態に迫る『「堺事件」の構図』などが所収。
 大岡の歴史小説論は菊地の論よりもなお原理主義的であり、その点について菊地にも苦言を呈されている(尾崎・菊地1980)。
 なお、大岡は海音寺潮五郎とも歴史小説論争を起こしている。

大衆文芸史の参考書籍

大村彦次郎『時代小説盛衰史』ちくま文庫上下 初出2005

【谷津MEMO】
 講談社の編集者を務めた文芸評論家による、大衆文芸史通史。歴史文学の影に隠れた大衆文芸の歴史を総覧できる。大衆文芸史を知りたいのならば、まず参照すべき書籍の一つ。単純にエピソードの一つ一つが面白い。文豪ファンにもお勧め。
 ただし、本書は読み物を志向して著されているため、裏取りが少し難しい(参考文献の記載はあるが、細かな記述について根拠を挙げていない)。その点だけ注意。
 ちなみに、大村は歴史文学を「歴史小説」と呼び、「時代小説」(=大衆文芸)とは別物と述べている。

植村清二『歴史と文芸の間』 中央公論社 1977/中公文庫 1979

【谷津MEMO】
 歴史学者植村清二の小説論や小コラムがまとまった随筆集。表題作は昭和六年に書かれているにも拘わらず、大衆文芸の立ち位置を理解し、歴史学との違いやそれぞれの向かうべき道について提言している。
 なお、著者は直木三十五の弟であり、直木に関する随筆も所収。

末國善己『時代小説で読む日本史』文藝春秋 2011

【谷津MEMO】
 歴史上の人物がいかに大衆文芸の中で扱われ、どのように大衆のイメージを形作ってきたかを論じる。作者と読者の共犯関係によって歴史上の人物や事件をイメージしてきた大衆文芸の営みを知ることのできる一冊。
(それはそれとして、イメージをどうひっくり返すかが大事な歴史小説のヒントが詰まった一冊なので、歴史創作をやられる方におかれては一読をお勧めしたい)

縄田一男『時代小説の戦後史』新潮選書 2021

【谷津MEMO】
 大衆文芸の精華である剣豪小説の書き手と小説をテーマに、作家と時代、作者と読者の心象風景を解きほぐす。時代と共にある大衆文芸作家の桎梏を知ることができる。

大橋崇行『落語と小説の近代 文学で「人情」を描く』青弓社 2023

【谷津MEMO】
 本書は歴史文学、大衆文芸どちらにも関係している。
 明治期の落語と小説の双方向の関係性を詳述。実は、歴史文学と大衆文芸は同じ母親を持つ兄弟であったことがわかる。
 なお著者は近代文学研究者の他に、ライトノベル、一般文芸作品を上梓する小説家の顔を持つ。

今後の課題

①歴史文学の行方
 坪内逍遙から始まる歴史文学の道統は、あるところでぷっつりと途切れる。なぜこのような断裂が起こったのか、この空白が何を意味するのかは、研究課題として挙げることができよう。

②大衆文芸以前の娯楽小説
 
明治期の娯楽小説は相当の数に上っているが、どのように大衆文芸に影響を与えたのか、必ずしも鮮明とはいえない。僅かに中里介山や塚原渋柿園ー岡本綺堂の流れが大衆文芸に影響を与えていることが知られる程度である。明治期の娯楽小説群の研究が待たれる。

③エンターテインメントの影響
 
1990年代以降、娯楽と似た概念であるエンターテインメントが歴史小説にもひたひたと影響を及ぼしている。漫画、演劇、映画、TV、ゲームなど、様々な歴史創作との相互参照の関係性を視野に入れた、新たな歴史小説史を構築する必要があろう。


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