見出し画像

節分の豆まき-実は桃のタネを巻いていた

卑弥呼(日巫女)こと倭迹迹日百襲姫命は父が7代孝霊天皇、母が3代安寧天皇皇子磯城津彦命の子和知都美命の娘倭国香媛で、古代豪族・十市県主今西家の一族ですが、桜井纒向学研究センターは纒向遺跡とモモの種の発見について記者発表しています。
「平成21年 纒向遺跡から当時の大型建物群の柱跡が発見されて、すぐ近くの土坑から2000個余りの桃の種が出土した。
卑弥呼の宮室説がある場所から、古代中国で呪術に用いられてきたモモの種が出土。」

中国ではモモは仙果として、邪悪を避ける力があると信じられてきた。
モモの木で作った人形(桃人)を門に立てたり、モモの枝を門に挿したり、モモ板に呪文を書いたりした。
モモは不老長寿を願って、儀式参加者に食べさせたのではないか(橿原考古学研究所長 菅谷文則)
『記紀』の国生み神話にも、イザナギは黄泉の国から逃げて、黄泉比良坂でモモの実を投げて窮地を脱する話しが記されています。
お伽話の「桃太郎」も、モモが鬼を退治する話です。
出土したモモの種は、呪術に長けた巫女の存在を感じるさせ、卑弥呼は孝霊天皇皇女のヤマトモモソ媛に比定されているのを裏付ける発見であったのは記憶に新しいです。
百襲姫は「黒田宮にて、幼き頃より、神意を伺い、まじない、占い、知能の優れたお方」とある。桃は中国が原産の果物で、中国では昔から霊力や呪力があると信じられていました。
桃は春に咲くことからめでたいイメージがあることに加え、桃の強い香りを鬼が嫌がると考えていたからです。

纏向遺跡より出土した桃核

2月の節分は、旧暦の新年を迎える正月であり鬼を祓い、福を迎えようとしました。
古く中国に始まり、周礼(しゅらい)によれば方相氏という官名で黄金四目の仮面をかぶり、玄衣、朱裳を着用し、手に戈と楯を持って悪疫を追い払うことをつかさどったとされます。鬼を払うための儀式は宮中行事となり、追儺(ついな)、儺(な)やらい,鬼遣(おにやらい)と呼ばれ、大晦日(旧暦12月30日)に疫鬼や疫神を払う儀式で後に鬼追い,鬼むけ,悪魔払いなどとも呼ばれるようになって現在行われている節分の豆まきはその原型で民間で行われる鬼を払う行事になりました。
桃の弓と葦(あし)の矢を使って邪気(鬼)を射る中国での鬼を払う儀式が日本に伝えられ、宮廷年中行事の一つになり、大晦日の大祓(おおはらえ)についで行われて大儺(たいな),鬼やらいともいいます。706(慶雲3)年、文武天皇の御代に疫病の流行により多くの百姓が疫病を患って亡くなり、災いを祓い、福を招くために唐から伝わった儀式を行ったと言われています。
節分の豆まきとは、中国由来の「追儺」とわが国古来の「散米」がうまく合わさって独自の風習として広がっていきましたが、一般民衆にまで広がったのは江戸時代以降で、桃のタネでなく大豆をまいて鬼を祓う風習が確立しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?