原点にして分岐点な作品*なんじゃね

 大切な作品。1976年に発表された萩尾望都の『アメリカン・パイ』に再会する旅。《後編》のはずが、手に入れた宝塚のバウホール版は、VHSをDVDに直さなきゃ見れないので来週以降にお預け。今回は2週目の《中編》として、国立国会図書館に行ってきたお話です。

 前編を投稿した後、全集でもいいから読み直そうと思って本棚を探したんですが、なんと、萩尾望都の全集ならいつでも買い直せるってことで、これまた破棄しちゃってたんですね!住居は限られている。モノがあふれてる。何を残すか。断捨離するか。家族の圧力の中、「ま、いいか」って手放してしまったものとの再会を目指す旅。果たして、大切という思いさえ持ち続けていれば再会はかなうのでしょうか。

 先週予約申し込みをした永田町の国会図書館へ。国会議事堂の横なんですね。初めてだったので「登録利用者カード」を作るところから。入場制限していて人はまばら。ほとんど待つこともなくカードを受け取って本館へ。検索、資料請求端末が斜向かい状に並んでいて、テレビ・ドラマで見るような空間でした。(目的の資料が分かってないと何も見つけられないけどね)。

 事前にネットで検索して見つかんなかったので、インフォメーションの人に相談すると、正しい雑誌検索方法を教えてくれました。『アメリカン・パイ』が発表されたのが、「プリンセス 1976年2月号と3月号」なんですが「ない!」。国会図書館に所蔵されてないんですね。思わず「全部あるわけじゃないんですね」って言っちゃいました。嫌味ですね。今度、明治大学米沢嘉博記念図書館に行かなくっちゃ。って、開館日が限られているから調整しなければなりません。

 ところで、『アメリカン・パイ』は、秋田書店の「プリンセス」に76年の2月3月に前後編で発表されたのですが、不思議なことに、その翌年の77年1月に発行された小学館の「プチコミック」にも一括再掲されています。

 講談社の「なかよし」でデビューして、69年70年は講談社で。71年の1月にCOMに投稿作品が掲載されて、その後小学館の「少女コミック」系を中心に、続々と発表が続きます。72年には『ポーの一族』のプロローグとなる『ポーの村』を、74年には『トーマの心臓』を、75年にはポーシリーズが怒涛の8本発表され、いったんピリオドが打たれます。

 71-75年。ほぼ小学館中心だったのが、76年の秋田書店の「プリンセス」にこの『アメリカン・パイ』が掲載され、その後、集英社や白泉社、新書館、小学館と多岐にわたる出版社での発表に切り替わります。77年には、『みずうみ』『霧笛』などのブラッドベリ原作の作品を集英社の「週刊マーガレット」に。光瀬龍原作の『百億の夜と千億の昼』を、秋田書店の「週刊少年チャンピオン」に連載。小学館時代とは違ったチャレンジが広がっていきます。これ『アメリカン・パイ』が分岐点だったように見えてきます。

 77年。小学館は、「萩尾望都作品集」を刊行開始。その前触れとなるような雑誌として「プチコミック」を1月に創刊し、532頁中387頁を萩尾望都の作品で埋め、他社で発表された『アメリカン・パイ』を1年もまたずに再掲。表紙に「プリンセス」での『アメリカン・パイ』のカラーイラストが使われているという、なりふりかまわず感にびっくりです。萩尾望都という才能に、各社が先を競って企画を持ち込んでる感じですねぇ。

 その「プチコミック創刊号」を国会図書館で読んできました。プチなんでサイズが小さかったり、冒頭のカラーページ群がグレースケール化されてたり、トーン処理されてたり、ああやっぱり「プリンセス」版を見たい!と思いながら、物語に引き込まれ、国会図書館の中で涙腺崩壊させて、静まりかえった閲覧室で、このコロナ禍下、鼻水をズルズルさせてたもんで、周りから白い目で見られた(と思います)。返却の時に、窓口のお姉さんに本が汚れてないか、きっちりチェックされてしまいましたし。

 やっぱり自分の時間軸の中で、漫画を読み進める、物語を展開させるのっていいですね。本来なら、たかぶった気持ちを抑えるために、寝転んで読むのがいいのですが、国会図書館ではそうもいきません。いや、そういう図書館があってもいいなとは思いますけど。

 さて、残るは、「プリンセス」版との再会。そして、宝塚による舞台化でリューの歌がどう再現されているのか?が、《後編》のお楽しみといったところでしょうか。ちょっと時間かかるかも。

(前編の投稿)→ あの日の『思い』をお蔵出し*

2021年2月17日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?