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Snow

Snowという曲を作りました。

冬の寒くて一歩も外に出たくないような日に、勉強机から窓の外を見た時。


何に悩んでいたのかも、何がやるせないのかもわからないけど、漠然とした不安と寂寞感がじわじわ迫ってくる。

そんななんでもない時間、何か普段は悩みもしないような、気にも留めないようなことに思いを巡らせる時間を想いながら曲を作りました。

私はたまにベッドで音楽を聴きながら考え事をします。寝転がるのではなく、座って。
寝転がると寝ちゃうから。

静かだった部屋に薄く広がっていく音楽に耳を傾けながらぼーっとする。聞くのは春野さんのfilia。クリーム色の壁紙の模様がでこぼこしている。シーツのシワがいつもより目立って見える。だんだんと差し込む光が青色に変わってく。感じる時間は止まっているのに、外の世界だけは目まぐるしく変わっていく。

置いてきぼりにされたような虚さと引き換えに心はスッキリと整理されていくような気がする。

毎日は忙しくてなかなかそんな静かな時間を作れないけど、たまにはいいと思う。



私は寒い雨の日のバスが好き。

高校が山の上にあったから最寄駅からバスに乗って通っていた。遅刻ギリギリに起きて何も食べずに、その日の授業も確認せずに部屋を飛び出す。朝の最終バスは閑散としてた。

結露したガラス窓がひんやりとした冷たさを伝えてくる。指を滑らせてみると、思っているよりも水滴が集まってくる。


当時はその些細な出来事を綺麗だとは思っていなかった。毎日のように出会っていたのに。
なぜだろう。今になって水滴のついた指の先が綺麗に思えてくる。

それは水滴が自分の一部になったからだと思う。その出来事とその時の気持ちが結びついて、思い出になったからだと思う。


当たり前の景色に彩りを与えてくれる思い出を大切にしたい。一つだって蔑ろにしたくない。
余すことなく煮詰めて言葉にしたい。自分にとってその思い出はどんな存在か確かめていきたいなって思う。


あなたも、たとえば雪が降った時、思い出すことがあると思う。「小さな頃は雪だるまを作った」とか、「あの頃遊んだ近所の子は今どうしているだろう」とか、「去年は友達と一緒にスキーに行ったな」とか。

Snowがその思い出に繋がる鍵になったらいいなと思います。




これからはネガティブな気持ちにも向き合っていきたいと思うので、次はちょっとそっちに挑戦してみようかなと思っています。付き合ってくれたら嬉しいです。

やとわ



余談 創作を始めるにあたって


たくさんの作品が雪に向き合ってきたと思う。

真っ先に思い浮かぶのはやっぱり星野源の「snowmen」。冒頭では「雪の中を泳ぎながら」なんて、割とストレートに雪について語っている。星野源のFamily Songなどでもわかりやすいけど、彼の郷愁にも思える街の描写には彼らしさが溢れ出していると思う。そういう街の描写をしつつ、誰か遠い人を思い出すような表現がゆったりと続いていく。音がいいよね。重いヴァイオリンが伸びやかに鳴っていて身も心も委ねられるような感じ。

そしてサビのフレーズ「胸に降り積もる光 今記憶だけ溶かして 君が振り返る時はまだ羽を広げさよなら」と来る。特に「胸に」の「む」の発音が好き。溢れ出す感情、広がっていく景色の感覚が彼の歌声を通して共有される。


次に思い出すのはキタニタツヤの「白無垢」。この曲はちょうど私がやとわとしての活動を始めようとしたときにリリースされたので思入れ深い。確か2021年の1月ごろだった。彼の曲は文学的でたまに聞きなれない言葉も飛び出す。小説か詩集を読んでいるような感じがする。ロックでダークな怖い印象の曲も多いけど、スローな曲もたまに出してくれる時がある。



敗北感、退廃的な諦めのようなオーラがこの曲からは滲み出ている。

「いつかの君がまとった白無垢の雪は温かで真綿のよう」と言っている。雪に「温か」と思える感覚は一見不思議だけど、共感できるなと思う。

こう考えていると言い尽くされてしまったのかなと思ってしまう。どの言葉も鮮明で美しいものばかりだ。

いや、自分にしか出せない言葉の列があるはずだと言い聞かせて筆をとった。私にとっての雪は何かを考えてみることにした。


千慧さんとまた作品を作ることができてよかったなと思う。きっと雪に対して思っていることも、この曲に対して感じるものも違っていて、その差異がうまく混ざって広がりのある作品になったかなと思う。
創作がとても楽しかった。

angelのあとがきもぜひ

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