職場の人間は他人

 日本の同調圧力的な教育の産物で、周囲と上手くやらないといけないと言う無言の洗脳があるが、ああいうのはまぁ人生の労力の無駄だ。それだけは確信している。もちろんある程度の協調性は必要だが。

 個人的には馬が合うと言うか、波長の合う人間がいたら、そして人生で同じような目的を持っている様な人間がいたら、仲良く出来る範囲で仲良くすればいい。

 職場の人間関係なんて、恐らく合わない人間の方が大半なので、繰り返すがある程度の連絡や相談は必要だし、労働上で協力し合う事も必要だが、それ以外は、基本自分が求められることだけやっていればいいと思える様になってから、若干メンタル的に楽になった感がある。

 当たり前だが他人は所詮自分の事しか考えていないし、大体の他人はあなたを自分にとって、都合の良い様に利用することしか考えていない。皆、最優先は自分、自分、自分だ。ある程度、社会に出た人間なら今更こんな事を言わなくても分かると思うが、皆、自分の事しか考えていない。

 また、職場で、特にこいつは何をしても辞めないと思われると、いい様に扱われるよ。本当にそんな奴ばかりだ。皆さん、自分の事しか考えていませんから笑。そして経験上、一見いい人そうに演じている人間ほど、他人を自分の保身の為に利用することしか考えていない。これはガチ。

 精神科医の樺沢先生の動画でけっこう好きな内容なんだが、職場の人間関係なんて本当にどうでもいいと思う。労働場所は働く為、日銭を稼ぐ為に行くところであって、くだらない言葉だが誰かと仲良くする為に行く場所ではない。求められたことだけやればいいし、他人もそんな事は求めていない。皆、自分の事しか考えていない。職場を辞めれば一生涯合わない人間ばかりだ。

 日本は他人事のビジネスに正規雇用で一生安泰、年功序列というニンジンをぶら下げて家族経営を掲げ、他人の人生を吸い取り他人事のビジネスにフルコミットを促してきたが、それももう限界だと聡い人間なら気付いているだろう。

 稀にと言うか頻繁に、他人事の実は誰でも出来る奴隷労働に対して、まるで自分事の様に、一生懸命にやっている振りをしている人間をちらちら見かけるが、あれはあれで可哀そうだなと思う。断っておくが昔の俺はそうでした。

 他人事の行為に熱中させられているあまり、自分の事を考える時間を奪われ、喪わさせられているからだ。で、気が付いたら、もう若くも無いし、職場での薄っぺらい人間関係もしかなく、労働ばかりしていたせいで、退職したら気軽に話せる知人もいない、自分には何もない、ただ他人事の欠片も興味のないビジネスに時間を奪われていただけという、現状を悔いて死んで行くと。

 じゃあお前はどうなんだと問われたら、正直自分事の活動は出来ていない。が、結局人間はすべからく全員死ぬし、時間差で確実に死ぬ、ゲームで言うところの魔法のデスが掛かっている状態なのに、興味のない他人のビジネスにフルコミットさせられる事が不毛だと気付けただけ、まだ人としてマシかなと思う。

 一番個人的に憐れだと思うのが、こうした事にも気付けないで、他人のビジネスに一筋になり人生を吸われ続け、体力も奪われ、家族との関係も疎遠になり、会社以外の人間関係も無く、辞めたら誰も周りにいない人生だろう。

 とは言うものの、人生でせめて半分の60点ほど攻略して始めて最低限の人権を確立できる、

 金、健康、人間関係

 これらを完璧に満たせる人間は早々いないので、人間が死ぬときに色々と後悔するのは仕方のない事だと思う。

 何故なら幼少期に、自分の人生の幸福について考える事や、世の中の構造などはまるで教育せず、とにかく労働、労働、労働する者として人的資本を高める事だけをやらせるからだ。その結果が、元来の資本家や支配層による永続的な搾取を構成する、資本主義社会の奴隷を造り出すだけ。誰も幸せにはならない。幸せに成るのは搾取する側、資本家や支配層だけだ。労働をさせられているあなたではない。

 そして毎年2万人も戦争していないのに日本で自殺していくのは、金を稼ぎ消費する、または金が無いとほぼほぼ何も出来ない社会で生きるしかなくて、そんな価値観に浸り続けた結果、次第に生きる意味を見つけられず虚無って行くからだとも考えている。

 こんな人間性を放棄させるようなクソの様な社会で、自分の人生を良くする為に確実に必要な事は、職場での他人に対して必要以上にコミットさせられる無駄なメンタル力を少しでも削り、自分の人生にその労力を回すのが賢明だと誰でも分かると思う。

 と言っても、自分の事を考える、自分がどう生きれば、どんな状態で、どうあれば幸せなのか考えるのは正直面倒だ。誰だってやりたかない。それよりも働いて、我慢して、月末に振り込まれる散々中抜きされた搾りカスの給料で色々買って、の方が分かりやすいからね。だから大抵の人間が、死ぬ時に、あんなに働くんじゃなかった、、、と後悔して死んで行く。

 こう考えると、日本に産まれて、同調圧力で労働地獄に囚われるのも、それはそれでまた違った不幸なのかもしれない。個人的にはドイツやオーストラリアの様な、労働観のゆるさが日本にプラスされればもう何も言う事も無いが、そんな事が可能になるのは300年もしないと絶対に無理なので、諦めて自分で、奴隷労働から少しでも抜け出す手段を探すのが賢明ですね