幼少期の家庭環境は何より大事

 それなりに長く生きてきて、多くの人間を見てきたが一つ確信していることがある。それは幼少期の家庭環境は何より大事だと言う事。

 差別用語なのであまり使いたくないが、親が社会的に底辺(全く勉強をしない、収入が低い、学力が低い、子供とまともにコミニケーションを取らない、そもそも子供と向き合う事から逃げているなど)だと、子供も底辺層の民度の悪いコミニティの人間とつるむ様になり、自分の周りの5人の平均収入がその子の収入になり、周りの人間と同じような民度と能力になり、どんどん這い上がれなくなるなどの傾向が見られる。

 親が仕事の疲労を原因に勉強や読書すら避けて、ギャンブルばかりしている姿を子供が見たら、当然子供は勉強をしない読書もしない。当たり前だが、親が読書すらしないのに子供がする訳もない。

 何より貧乏人が子供を何人も産んだら、それこそリスク管理ができなくて、家庭が崩壊するだろう。子供がもしグレて悪い奴らとつるんだりしたら、もうそれだけでお終いだ。俺の家族がそうだった。

 親父が子供とまともに向き合わず、子供と将来の事を話し合わず、世間の事を教えず、社会の事を教えず、放置し続けた結果が、借金まみれで薬物中毒でどうしようもない兄の寝タバコで実家が全焼し、親は全てを喪った。

 おかげで俺は家には帰れない。思い返せば泣きたいくらいだが、涙すら枯れてしまった。これが現実とはとても思えないが、残念これが現実です。帰れる家が無いのは、本当に心に来る。これが現実とはいまだに信じられない。挙句家庭が崩壊し、もはや家族として何も機能していない。

 世間では家畜に家畜を再生産させ、命と税を搾り取ろうと、子供を造れ造れと洗脳を掛けてきているけど、金も無い、長く働く覚悟も無い、子供がグレる可能性を欠片も考えられない、子供がニートになる可能性も考えられない、子供がもしこの競争を強いられる社会で躓いたら助ける気概も無い親は、本当に造らない方がいい。

 子供を造れば、家族がいれば幸せってのは、もう利口な人間なら分かっていると思うが洗脳だぞ。何かあっても責任を取るのは自分。その覚悟がないのなら止めなさい。俺は産まれてしまった事を後悔しない日は無いよ。正直痛み無く次の瞬間一瞬で死ねるならそうしたいが、まぁ死ぬのは怖いからなぁ。今でこそ社会的にだいぶ悪い所にいるのに、ここから這い上がって普通を目指す力が無い。こんな事を言っても誰も助けてくれないからどうにもならんがね。

 そういえばカナダで安楽死施設が出来たらしいが、安楽死の福祉の開始以降合計で4万人も安楽死させているらしい。聞くところによると、生活保護より安楽死の申請が楽だとか。

 生きる事は当然辛い事の方が多いので、その痛みに耐えられない人を救うと言う点で見たら、とても人道に良いことだと思う。しかし2016年の安楽死開始から4万人も安楽死させているとか、これって人は産まれない方がよかったってことの証明じゃないのかな。

 元々産まれからして、目に見えない生命エネルギーに乏しい個体もいる。多分俺もそうなのかもしれない。いいのか悪いのか負けず嫌いな性分があるから、自分の人生を顧みて希死念慮を常時抱えつつもまだ死んでいないけど、流石にどうしようもなく辛い時はけっこうあるので、メンタルが大きくブレた時に安楽死施設が身近にあったら利用するかもなぁ。それで浮世の苦しみから解放されるならさ。

 生きていてとても辛い事ばかりだった人、先々に希望が持てない人は、カナダを目指してみるといいのかもしれない。なに、産まれさせられた君が悪いわけじゃない。産まれてしまって苦痛が消えない人は、正直運が悪かったのだろう。ハズレを引いたんだ。ハズレだ。俺も。多分ハズレ。まぁ仕方がない。気楽に行くしかない。