金のことばかり考えさせられる社会に住む人間は、不幸感を抱きやすい

 今の世の中、どの程度金を持っているか、どの程度稼いでいるかで、その人間の価値が測られる。例えば20代で300万500万800万1000万資産があれば、それだけで羨望の眼差しを向けられ、そして周りから嫉妬9割の視線を向けられる。

 確かに金は稼いでいるし持ってもいるだろう。凄いと思うし羨ましい。

 ただ、金の量を誇示したところで、一体なんの意味があるんだろうな。気持ちいいのか。虚しくならないのか。純粋な疑問だ。

 確かにそいつは大金を持っている。その人「個人」は経済的に豊か、なのかもしれない。

 ただ、社会的には何か意味あることを成したわけではない。その人個人が大金を持っているだけの事象。

 お金は大事だ。大事だが、金金金金と金だけ集めて、金に固執して、集めた金を自慢して、それで本当に幸福なのか分からない。

 たまに見ているnoteで、発展途上国に移住し、教育支援に行っている人間がいるのですが、その人は子供が好きで教育支援をやりたいからやっている、だから続くし日本にいたときより、金はないけど幸福度は数倍になったと発言していました。

 実際私もその人間を観察していて、確かに幸福そうでしたね。現実問題孤独との戦いや言語の問題などはあるでしょうし、いい事ばかりじゃもちろん無いと思います。

 ただ、金金金金と、集めた金の量ばかり自慢し、稼いだ金の額ばかりを誇示し、四六時中、金のことばかり考えさせられる社会に生きている人間たちよりかは、私はその人が遥かに幸せに見えました。

 しかしなにより難しいのが、当人が本当にやりたいことを見つけるのは、とても大きな時間が掛かるとその人は言うのです。少なくともその人は4〜5年掛かったそうですね。

 金金金金と金のことばかり、金を目的とする社会では、金をどの程度持っているかが、その人間の存在価値になり、金が無ければ非人間扱い、社会の荷物、そして生産性がない人間、主に社会の税負担を増やす存在は殺せ、生きている価値が無いとなります。現に社会全体でそうなりつつありますね。

 私は自民党が政権を握っている限り、もう手遅れだと思いますが、あなたが本当に幸福になりたいのなら、私はあなたが本当に人生を掛けて、やりたいことを見つけるべきかなと。

 私の考えですが、金ばかり集める、金のことばかり考えさせられる人生は虚しく、そしてつまらないでしょうね。

 少し前に自分のマネーフォワードの口座を見ていて、非常に虚しくなりましたよ。まあそもそも私が貧乏なのが行けないんでしょうけどね。

 この虚しさは、きっと家族がいても変わらないでしょう。私の親がそうでしたから。いつも金のことばかり考えさせられて、とても不幸そうでした。仮に金を稼げる様な状態になっても、自分がやりたくもない奴隷労働をやらされている状態は、当人にとって不幸そのものだと思います。

 金があればあるほど幸せと言う人はそれでいいですが、そうじゃない人は、後悔して死ぬ前に、自分の生き方を見直す時なのかもしれません。年齢を重ねれば重ねるほど、人間は新しいことをやりづらくなり、新しいコミニティにも入りづらくなっていきますから。

 とても難しいことですけど、人間は金の呪いから解放されることでしか、本当の幸福は得られない動物なんでしょうね。