中学校が大嫌いだったから創作が好きになった話
こんな私みたいな無名なもんの昔話なんざ誰が好んで読んでくださるんだって感じではあるが、なんとなくふと個人的に分岐点だと存ずる事案を思い出したので、ここで記しておこうと思う。
中学の頃、私は学校が大嫌いであった。なんなら今でも嫌いだ。
友達がどうのとかなんかそういう話ではなく、「中学校」というちょっと軍隊じみた規律的な閉鎖空間に辟易していたのだ。
さらには教師も好きになれず、また個人的に剣道を習い事として小学生の頃からやっており、それを辞めたくても親が許してくれずにどんどんメンタル面が悪化してゴリラになる夢を毎日見るようになった。
そんなこんなで中学も3年になり、私の以前のnoteでも記したのだが…その頃になるとBeatlesだのジミヘンだのNIRVANA…はもうちょっと後だったけど、なんかそういう「今いる自分の世界とは別世界の音楽」にどんどん傾倒していったのだった。
そんなある日、美術の授業で「アクリル板を先の尖った鉛筆のようなもので彫って、一枚の絵を完成させる」という課題に取り掛かることがあった。
それまでの私だったら、なんか無難なものを絵の題材にして教師からなんやかんや言われないようにしていた。
しかし、中学3年になってくると「中学校」というあまりに理不尽な存在、そして教師たちや肌の合わないクラスメートたちへの鬱憤などが溜まりに溜まっていたため、「もう何を言われてもいいわい」という心理状況になっていた。
そして、私がアクリル板課題の題材に選んだのが、ゴリラではなく「不動明王」だった。
なんとなく日本史の資料集をパラパラめくっていると、その顔の恐ろしさ、見るものを圧倒する威圧感に私自身が圧倒され、「こ…これじゃい!これなんじゃい!」と即座に絵の題材に決定した。
私の心に溜まりに溜まった鬱憤を表現するには、不動明王の力を借りるしかなかったのだ。
さらに、私は「自身の怒り」を表現するため、不動明王の顔面だけをドアップにする構図にした。
かくして、私は他の生徒たちが2〜3週間ぐらいで完成させていたところを、粘りに粘り、さらには美術の先生に「もう少しだけ!」とちょっと頼み込んで1ヶ月ほどをかけつつ完成させた。
出来上がった「不動明王顔面ドアップアクリル板」は、個人的に満足のいくものだった。
だが、「ま、こういうのは結局評価されないだろうな」という気持ちもあったため、特に何の感慨もなくゴリラのように時間は過ぎ去っていった。
そして、あれは中学3年の二学期ごろの終盤。成績通知が渡される。
私は中学の頃、先述のようにもう中学そのものに辟易していたため、テストなんざどこふく風で、それはもう散々な始末であった笑。ガハハ。
もちろん美術に関しても、テストの点数は超低空飛行うんこみたいな感じだったのだ…が。
蓋を開けてみると、美術の成績通知のところに5段階中4の評価がされていた。
私はてっきり2とか、いっても3ぐらいだろうと思っていたのでこれには驚いた。
美術の先生がちゃんと私の「不動明王顔面ドアップアクリル板」を評価してくれていたのだ。
さすがにテストの点数がゴリラだったので、そこはある意味加味しなければいけないわけだから、ゴリラだけに「5」はもらえなかったが…それでもなんだか「自身の作品を認めてくれた」というのがとても嬉しかったのを記憶している。
それ以来、美術の先生のことが好きになった。U先生、私を覚えておりますでしょうか。
創作することにおいての楽しみを、私はこの経験からなんとなく感じ取った。
ただ創作すればいいだけでなく、そこに自分の感情や感じたことを込めるところに楽しみがあるのか…と。
もしあの時、中学校のことが大好きで大好きでたまらず、教師のこともクラスメートのことも大好きで「学校バンザイ!!」と号令をかけるが如く中学校に対して狂喜乱舞していたのならば、私は創作することへの楽しみを見出していなかったのだろうと思う。
そういう意味で、大嫌いな中学校があったからこそ今の私があるのかもしれない…などと皮肉めいたことを言いつつこの乱文を締めようと存ずる。
おーわりっ!!
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