さて、祖父が亡くなった

3月の中旬、母方の祖父が亡くなった。

関東住みの私は朝一番の新幹線に乗り込み、祖父母宅のある九州へと向かったのだった。

5〜6時間ほどをかけてようやく祖父母宅に到着すると、祖母が礼服姿で出迎えてくれた。

仏壇のある部屋に顔の見える棺桶が鎮座しており、そこに亡骸となった祖父の顔を見ることができた。

その日のうちにお通夜があるということだったので、私は礼服に着替えたのだが、その時に祖父の思い出が蘇って…

いや、正直言うとあんまり思い出らしい思い出がなかった。

私の祖父はちょっと変わった人で、祖父母+私たち一家+親戚の叔母さん一家で祖父母宅にて紅白歌合戦を見ていても、ふとその場からいなくなる。

「あれ?じいちゃんがいないなぁ」と思ってトイレに行くついでに洋室をちょっと覗いてみると、その部屋にこたつを持ち込んで一人で紅白歌合戦を見ていた。みんなで見りゃいいのに。

祖母と叔母さんがご飯の用意をしているのを見ながら、「飯はまだかぁ」と大きな声で言って、祖母から「今ぁ作っちょる!!!!」といつも怒られていた。

車を運転するのが好きな祖父は、初詣などに行くときに決まってハンドルを握るのだが、いつも祖母が助手席に座って「スピード!!だ!し!す!ぎ!!!ア!ブ!ナイッ!!」とものすごい剣幕で怒っていた。本当にものすごくて、こっちまで萎縮してしまうレベルだ。
後ろの席に座っていると、じいちゃんの頭からポマードのような匂いがしてくるのだった。

なんか…じいちゃん、いつも怒られてたなぁ…と思っていたら、なんだかわらけてきてしまった。

お通夜が終わり、次の日は葬式だった。

祖父の棺桶には、祖父の大好物だったという「あんぱん」と「磯辺餅」が入ることになった。なんとも絶妙なチョイスだ。

あんぱんは大きめなのを葬祭場の職員さんが八当分ぐらいに切ってくれて、それをじいちゃんの頭や手のあたりに置いていった。
祖母はちょっと涙目になりつつ、最後の悪ふざけのような感じで祖父の口にあんぱんを軽めにねじ込もうとして、みんなから止められていた。

磯辺餅は「火葬の際に、硬くて不備が残るかもしれないので」とのことで、祖父の足元に3つほど置くことになった。
「磯辺餅が足元にある」という状況が、なんとなく祖父の変わり者感を演出しているように思えたのであった。シュールすぎる。

葬式が終わり、火葬場に移動する。

棺桶の顔のあたりにある蓋を職員さんが開けてくれて、祖父の亡骸との最後の対面である。
私は祖父の亡骸のおでこを触ってみた。ひんやりと冷たかった。祖父のおでこを触ったのは、これが最初で最後になるんだと思うと、少しずつ寂しい気持ちになっていった。

蓋が閉められ、職員さんが棺桶を乗せた台座を火葬炉へと運んでいく。

祖母と母が、少し目を赤くさせ、鼻を軽くすすりながらその様子を見ているのがわかった。

祖母・母・叔母さんの3人で火葬炉のスイッチを入れ、祖父の火葬が始まる。

火葬が終わるまでは1時間半ほどかかるとのことで、待合室で親戚一同待つことになった。

その時、疲れていたのもあって私はうとうとと軽く寝てしまっていたのだが、待合室の向こうのほうで親戚と話している祖母が、

「あの人はほんとにせこいでね…わしゃあの人から何にも買ってもらったごたなくてねぇ…なぁ〜んにもよ!」

と、いかにじいちゃんがせこかったか…をちょっと寂しさを紛らわせるように笑いながら喋っているのが聞こえた。

私は直感的に、祖母はあまり泣いてないけど悲しいんだなぁと悟った。

こういう場所で「あの人は本当に良い人だった」と言える人ほど、なんとなく信用できない気がするのだ。

火葬が終わり、お骨を骨壷に入れ、私たちは帰路についた。

葬式が終わった次の日、何も予定が無かったため、祖母宅から電車で30分ほどのところにある都市駅へと向かい、ちょっとした買い物をすることにした。

電車の席に座って本を読みながら揺られていると、隣に杖をついた80歳ぐらいのおじいちゃんが座ってきた。

その時…ふわっと、じいちゃんがいつもしていたあのポマードの匂いが香ってきたのだ。

私は一瞬、「あ…じいちゃんの匂いだ…」と、祖父が荒々しく運転する車のワンシーンを思い出した。

そして葬式の時、祖母がちょっと涙目に笑顔を浮かべながら、祖父の棺桶を開けてあんぱんを入れる時に、祖父の鼻を「このっ!」と言いながらツンとしたシーンも思い出した。

「じいちゃん、いなくなっちまったなぁ…」

心の中でそんなことを考えながら、隣から香ってくるポマードの匂いに浸りつつ、窓の外の景色に目を向けたのだった。

おーわりっ!



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