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とりとめもない話ができる場所の居心地のよさについて

札幌に住んでいた17年前ごろ、よく通っていたスポーツバーがあった。

12〜15人くらいが座れるまっすぐなカウンターと、数人で座れるテーブルが4つか5つある小さな店だ。
狸小路と呼ばれるアーケードの西のはずれ、こんな場所で木彫りの熊なんて売れるのか?と不安になるほどいつも客がいない土産物屋を通り過ぎた先の、すれ違うのもやっとという細くて急な階段を登った2階に、ジャージーバーはあった。

ちょうどぼくが札幌の小さな出版社に拾ってもらい、タウン誌の編集部に配属されたころ、その店はオープンした。新しく開店したお店を紹介するコーナーで取材して、記事にさせてもらった。日韓ワールドカップが開催される直前の話だったと思う。

スポーツバーなんて存在しなかった当時の札幌で、ジャージーバーはいつもにぎわっていた。
ワールドカップで世界のサッカーを初めて知った人も、そうじゃないベテランも、どちらも迎えてくれる温かい雰囲気の店だった。
店のマスターやスタッフは気さくな人ばかりで、カウンターで隣り合って意気投合した人たちもたくさんいた。弾丸ツアーでイタリアにサッカーを観に行くという人もいれば、サッカーなんて興味ないけど店の雰囲気が好きだから仕事帰りによく寄るという人もいた。
職場の先輩や大学時代の友人、付き合っていた彼女にもしないような、とりとめもない話をとりとめもなく聞いてもらった。

たぶん、その店はぼくにとって「ちょっと一休みする場所」だったんだろう。今風に言う、サードプレイスだ。
職場でも自宅でもない、縁もゆかりもない人と、とりとめもない話をする場所。話をしたくないときは、ビールとフィッシュアンドチップスをつまみに、ぼんやりとサッカーを眺めていればよかった。スマホもない時代、カウンターで過ごすその時間が、なんだか居心地よかったのだと思う。

東京にきて、そういう場所を持つことはなくなった。
相変わらずサッカーは好きだったし、何度かスポーツバーへも足を運んだけども、ぼんやりと過ごすという居心地のよさまでは馴染めなかった。たぶん、ちょっとした言葉のやりとり、挨拶ひとつで変わったと思うのだけど、なんだか札幌から出てきた田舎者には、東京の人は忙しすぎて声をかけていい雰囲気には思えなかった。

でも、何年か過ごすうちに、今では別のつながる場所ができた。

昨日、サッカーの話を書いたので、急に昔の話を思い出した。
ぼくが今、こうして幸せなサポーターでいられるのも、ジャージーバーがあったおかげだ。その店が、2018年の2月に閉店したのをさっき知った。

もう2度と、あの急な階段を登ることはないのかと思うと、あのカウンターでサッカーを眺めることができないと思うと、あの場所で過ごした大事な思い出が消えていくようで、なんだかとてもさみしい。

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