イラスト御朱印で戻った風景
愛知県豊川市の浄泉寺(浄土宗)は、知る人ぞ知るお寺だ。林志宏住職(45)はイラストレーターで、住職の描いた萌え系イラストが入った毎月の御朱印は、遠方から整理券を求めて徹夜で並ぶファンもいるほど。大きな体で趣味のバイクにまたがり、笑顔がはじける林住職は、お寺の縁を広げるイラストの力を感じている。
河口の近く、水害で資料が散失
――浄泉寺の歴史を教えていただけますか。
「1492年に創建されたのですが、詳しい経緯とか逸話は資料が水害で散失してしまって分からないんですよ。先々代住職の、私の祖父が、過去帳の一番最初に、寛永13(1636)年8月4日に村が大潮の被害を受けて散失した、ということを書いています」
――水害ですか。豊川の河口が近いですからね。
「今も豊川放水路の河口に近いですが、元々、ここにあったのではなく、大潮で流されて、こちらに移り、本堂はどこかの建物をもらい受けたという話は聞きました。かつては浄泉庵という名で、一般的に『庵』と付くお寺は尼僧寺が多く、三河は尼僧寺がたくさんある地域なので、うちもその一つかもしれません。先々代が今の治寶山浄泉寺と変えました」
――どんな仏様が祀られているんですか。
「ご本尊は阿弥陀さん。東三河では珍しい馬頭観音さんがあります。この辺りは昔、酪農をやっていた家が何軒かあって、動物に対する仏さんを祀ってほしいと頼まれて、大正11(1922)年に建立されたという記録はあります。あと聖観音さんが文政3(1820)年に建立されて、馬頭観音さんと一緒に観音堂の中でお祀りしています」
「ポケスト」になった萌え系観音
――比較的、新しい仏像ですね。
「一番新しいのは、2022年春に矢田石材店さんと造った境内の豊川はなえみ墓園にある、聖観音菩薩の石像ですね」
――ご住職が描かれる萌え系イラストを石像にしたものですね。
「どうせ建てるのであれば普通のでは面白くないと矢田社長とお話をして、イラストは御朱印などいろんなご縁をもらい、うちのシンボル的なものなので、お願いしたんですよ」
――評判はいかがですか。
「いいですよ。手を合わせて行くのは御朱印の常連さんが多くて、まず観音堂で、その後にはなえみ墓園の聖観音さんに手を合わせて帰る人が多いようです。最近、Pokemon GO(ポケモンゴー)のポケスト(ポケストップ。訪れることでアイテムが得られる場所)になったくらいですから。うちは関与してないので、だれかが申請を出したのでしょう。認知をしてもらっている裏返しなのかなと思っています」
毎月の御朱印対応日は徹夜組も
――ご住職が毎月イラストを描いている御朱印はいつから始めたんですか。
「令和元(2019)年の9月25日からです。自分が描いた原画からゴム版を作って押して、御朱印をつくっています。今では毎月の御朱印対応の日は徹夜して本堂前に並んでくれるんですよ。愛知県外の遠方から毎回来る方もいます。150人近くが欠かさず来てくれる。めちゃくちゃありがたいです」
――イラストを描くことはいつから始めたんですか。
「姉がやっているのを見て、いいなあと思って始めて、中学にあったイラストサークルに入りました。部活で弓道をしながら、同好会で。顧問の先生はほとんど顔を出さないサークルで、仕切ってた先輩がすごくうまくて、自分も上級生になればあのくらいになれるのかなあと思いながら、よく少年ジャンプの表紙を模写していました。ドラゴンボールをよく描きました。透明の下敷きに描いて自分だけのオリジナル下敷きをつくっていました。昔、流行りませんでしたか?」
スポーツ、勉学の傍らイラスト続ける
――高校でも学校で描いていたんですか?
「高校はスキーサークルで、イラストは学校の友達に見せて楽しんでいました。模写ではなく、オリジナルのキャラクターを描き始めていて、当時、ゲームセンターに雑記帳っていう落書きをするノートが置いてあって、そこに絵を描くと『上手ですね』『めっちゃかわいいですね』とか反応があるんです。返信したりして、やり取りもすごく楽しかった。それがきっかけで、ゲームセンターの店員さんに紹介されたのが、今のうちのかみさんです」
――イラストが縁で結ばれたんですね。
「大学ではいったん絵から離れたんですが、完全にやめると技術が失われちゃうと思って、だれに見せるわけでもなく描いていました。卒業して、実家の浄泉寺の副住職になって、30歳くらいだったかな、絵描き向けのSNSにイラストを出すようにしたんですよ。描いてはアップしていたら、1年後くらいに閲覧数の多いランキングに載るようになって、そうなると見てくれる人が増えるんです。そのうちに、ゲームや会社のパンフレットのキャラクターデザインや商品パッケージデザインなどの仕事が舞い込むようになってきた。あれ?これってプロじゃない?と思って。それで結婚資金を貯めました」
いつの間にか、二足のわらじ
――イラストレーターとお坊さんの二足のわらじですね。
「そうですね。6年前に住職になって、御朱印を始めてから、イラストレーターの仕事に時間をさけなくなってきて、今は新規の依頼はお断りしています」
――先ほど、イラストからご縁をもらった、とお話されていました。
「御朱印で集まったみなさんは、ここで初めて会ったのに、楽しそうにわいわいやっている。それって、実にお寺らしいなって思います。自分が子どものころ、お寺に集まって、お酒飲んで、本堂に雑魚寝してみたいなことがあったんですが、その時に見ていた風景が戻ってきたと思いました。こうやって縁が広がっている。仏教って縁を大事にするじゃないですか。いいなあって思っています。お寺にとってものすごくプラスになっています」
ご縁が広がるきっかけ、効果大
――イラストの効果は大きいですね。
「でかいと思いますね。お寺を継ぐ、法灯を守っていく責任感は重いんですよ。何百年も続いているのに、自分の代で絶やしてしまったら、極楽へ行った時に先代や先々代に顔向けできない。そういう責任感だけでお坊さんをやるのはしんどい。それが、自分らしく、楽しく、面白く、お寺が守れるのであれば、いいんじゃないかと。先代の父はまじめだったんですけど、父のようなお坊さんらしいお坊さんは絶対に無理だと思ったんですよ。自分のよりどころになっているんですけど、浄土宗を開いた法然上人は、自分も凡夫の身でありますからと、欲にまみれた人間ですよ、と言っている。法然上人よりできた人間にはなかなかなれないですよね。そこに助けられ、救われて、お寺を守っています」
――ご住職はバイクの趣味もありますね。
「はい、お参りには三輪車にカスタムしたカブで行きます。めっちゃ子どもたちが喜びます。バイクが好きだと法話ですると、わしも昔は乗っててね、と年配の方と話が広がる。
でも、イラストを描いて、バイクに乗っているといって、俗物和尚です、というわけではなく、お坊さんとしてすべきことはもちろんちゃんとやります。どうしてもイラストやバイクが前面に出るので、見えにくいんですけど、毎月17日には観音さんのお参りをずっとやって、御朱印のために徹夜で来る人たちにも朝、一緒にお参りをして、話を聞いてもらっています。そうすると、ほんとに和尚さんなんだ、着物でお経を唱えているとすごくお坊さんらしいとか言われるので、お坊さんなんです、って言ってるんですけど」
――やるべきことはやっていると。
「イラストはあくまでもきっかけなんですよ。来てもらうための足掛かり、入り口です。それで来てもらった人に話をしたり、自分という人間を知ってもらったりしている。営業でもそうだと思いますが、なにかを最終的に決めるのって人じゃないですか。御朱印の人たちは自分の菩提寺やお墓もあるけど、毎月、楽しいからと足しげく通ってきてくれる。これはもう信者さんです。大事にしなきゃいけない」
あふれるアイデア、いっぱいやりたい
――これからも発信していきますね。
「やりたいことがめちゃくちゃあるんです。日本は八百万の神で、万物に神様が宿っていると言われているじゃないですか。自分が好きだった物を大事にしたいという気持ちがあって、それを手放したり、壊れて捨てざるを得なくなったりする時に、供養をするとか。考えるとアイデアがボコボコ出てくるんですよ」
永代供養のついた安心のお墓「はなえみ墓園」。
厳かな本堂でのお葬式を提案する「お寺でおみおくり」。
不安が少なく、心のこもった、供養の形を、矢田石材店とともに考える、お寺のご住職のインタビューをお届けします。
毎月の第2、第4月曜日に更新する予定です。
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