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新居浜の“弟子”が語る、変わったところと変わらぬところ

久しぶりの「弟子」がやってきた。愛媛県新居浜市、竹原石材の竹原潤さんは、愛知県岡崎市の矢田石材店で3年間の「修業」をし、家業を継いだ4代目の34歳。10月20、21日と訪れた四国の若き石材店経営者から、「師匠」の会社の今はどう見えたのか。


増えた社員、広くなった社屋

20日、岡崎本社に着いた竹原さんは戸惑った。
「事務所が広くなっていて、入口が分からなかった。人がたくさんいてびっくりしました」
在籍していたのは2014年から2017年。
「入ったころは、矢田家の方と自衛隊出身の方ばかりで、僕だけが一般人でした(笑)」
当時8人ほどだった社員は40人近くに増え、社屋は増設され、事業も広がっている。
「新居浜に帰った後は『岡崎の方に来たので』とちょこっと顔を出したくらいで、こうやってちゃんと来るのは2017年以来」という。

最初は先代から「現場」を教わる

今回、1泊2日で岡崎を訪れたのは、昨年亡くなった矢田石材店2代目、勝己さんの一周忌・納骨式に参列するためだ。
修業時代の最初の約1年間は工場や墓石建立の現場で仕事を覚えるため、勝己さんにいろいろ教わった。「あそこの喫茶店、なんて名前でしたっけ。そうドルチェです。ホントによく一緒にドルチェへお昼を食べに行きました。現場の仕事では安全の確保についてかなり強く教えてもらった記憶があります。石の下に行くなとか。修業の期間に限りがあったので、早く仕事を覚えられるように厳しく教えてくれたんだと思います」

竹原さんは、父親から「長男だからといって継ぐ必要はない。大学へ行って、仕事を探した方がいい」と言われていたという。ただ本人は「いつか石屋を継ぐんだろうな」と思っていた。そう思いながら、愛媛を離れて大阪経済大の人間科学部に進学した。在学中に祖父が亡くなり、「葬式でおじいさんの顔を見て、ここがタイミングやな」と感じて、家業を継ぐと決めた。

縁あって「押しかけ弟子」に

そこから不思議な縁で矢田石材店とつながった。

周りの学生が就職活動をする中、専攻していた消費者心理学ゼミの教授に、実家が石材店ということを伝えると、ゼミ1期生のOBを紹介された。滋賀県で石材店を経営する16歳上の竹原先輩。名字は同じだが親戚ではない。先輩を訪ねて話しているうちに「修業をするなら岡崎だ」となった。
「石都」岡崎の県職業訓練施設、岡崎技術工学院には全国で唯一の石材加工科があり、竹原先輩は大学卒業後に入学していた。ここで、自衛隊を経て工学院に入っていた矢田石材店の矢田敏起社長と同期だった。

矢田社長は「ほとんど高卒で来ている子が多い中で、2人はちょうど同い年の年上で、仲良くなったんですよ。その竹原くんから連絡があって、うちで修業したいっていう子がいるから話を聞いてやってくれと。うちは弟子をとってないから無理だと伝えたのですが、一度会ってから判断してほしいと食い下がってきたんです」。

竹原さんは「ここでしかやる気はないんで、と言って無理やり弟子にしてもらいました。いろいろ調べたら、たぶんここが一番おもしろそうだと思ったので」と振り返る。

2年目から営業をみっちり

石材店の修業、と聞くと、石の加工技術を学ぶというイメージがある。しかし、矢田石材店での修業は違った。矢田社長は説明する。
「石屋さんの息子が修業するというと、石をたたくイメージで来るんですけど、それだけじゃあ食っていけないだろ、っていうのがある。基礎知識として現場のことを知らないとお客さんとも話せないので、最初の1年間は現場の仕事をやってもらって、2年目からはお客さんへの対応だとか、提案を持っていくとか、そういうことをやってもらいました。どうやって売るのかとか、お客さんの見つけ方とかが重要なので。うちは技術がすごく優れていて選ばれている会社ではなくて、お客さんにちゃんと正しいことを伝えるとか、お客さんの要望をきちんと汲み取ってお墓をつくるのが得意な石材店なので、せっかくうちに修業に来てくれるんだったら、それを伝えたかった」

それが竹原さんにはピッタリはまった。
「いろんな人と話をするのが好きなんですよ。ちょうど大学で、消費者がどういうものを欲しがっていて、こういう答えを欲しがっているとかを聞いて、それに寄り添った時にたくさんチャンスが広がるということを学んでいて、岡崎に来て営業を経験して、本当にいい修業になりました。いまの仕事に活きていることばかりです。矢田石材店に来ていなかったら、いま、どうなっていたんだろう、って思います」と話す。

目指すは「新居浜に根付いて着実に」

竹原さんは2年前に社長に就任。現在、家族4人と、1年前に入社した20代後半の若い社員との、計5人で仕事をしている。竹原さんが愛媛に戻った後に矢田石材店が始めた、寺院と共同運営の「はなえみ墓園」や愛知県石材リサイクルセンターの事業に興味があり、今回の滞在で同センターの見学にも行った。
「これだけ社員が増えて、その人たちの生活を担保できるだけの仕事ということを考えたら、同じ経営者としてすごいなあと思います。ひと回り以上、年上の師匠がバリバリやっているので、若いお前がなにやってんだ、と言われないように頑張ります。愛媛で一番とか、西日本で一番を目指す気持ちで新居浜に帰りましたが、創業から100年の竹原石材が地元に根付いて残っていけるように、着実に力をつけていきたい。師匠の背中を見せてもらっているんで、それを追いかけていくだけです」

6年経っても「ぶれていない」

久しぶりに岡崎に来て「刺激を受けた」という竹原さんは、こうも言った。「師匠から教わったことで、これだというのがある。お客さんのためにならんことはしない、ということ。そこはぶれてないなあと思いました。絶対にぶれないでしょ。ぶれるはずがない」
変わったことと、変わらぬこと。6年ぶりの岡崎滞在で感じたことを語り、弟子は新居浜に戻っていった。

新居浜の竹原石材、竹原潤社長

「矢田石材店なう」では、近況や情報などを随時お伝えしていきます。

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