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「自分で考える」ように仕向ける

手がけたプロジェクトの中でも興味深いものの一つは、ガンジス川の浄化プロジェクト。さまざまな問いを駆使してこの問題についての理解を深めたうえで、地元住民に次のような質問をぶつけた。

「ガンジス川の状況をどう感じていますか?」

「ガンジス川の状況を子どもたちにどう説明しますか?」

「汚染」という言葉を使わないなど(ガンジス川を神聖なものと信じている人たちに不快感を与えるかもしれないからだ)言葉遣いには気をつけ、「川を大切にする」といったテーマで質問や討論が進むように工夫した。すると、人々がガンジス川を浄化することの大変さに二の足を踏んでいることがわかってきた。そこで質問の内容をなるべく長期的、継続的な目的に絞っていった。

「ガンジス川をきれいにするために、子どもたちにどのような教育をしていますか?」

尋ねると、みんな、何もしていないことを認めざるを得なかった。「この国の人たちはガンジス川を愛し、わが子を愛している。にもかかわらず私の質問に答えられない。これでは彼らも心の均衡が保てない」

そこで親たちはポスター・コンテストを開催して、健康をテーマとして、子どもたちにポスターを描いてもらった。応募作品を公の場所に掲示すれば、「子どもたちが何を見ているのかを大人が知って気まずい思いをするだろう」という考えだった。このコンテストはその数数年のうちに、毎年開かれる一大イベントへと発展した。きっかけは、質問だったかもしれないが、現地の人たちが考え出したアイデアなのだ。

★今日の気づき★今の自分だと「ガンジス川の汚染された状況をどう感じていますか?」と、『汚染されているということを考えているのか?』と心の中は攻撃的になってしまうのではないかと気づくことができた。自分から見たら『汚染』というところに視点がいってしまいますが、地元住民の方は『神聖なもの』というところに視点がある。共通するところの「川を大切にする」というテーマを掲げることで同じ視点で話を進めることができる。日頃、このような視点の違いで話を全く合わないシーンをよく見る。一歩下がって、共通するテーマを見つけることが大切なんだと学ぶことができた。

「ガンジス川を汚染させないために、子どもたちにどのような教育をしていますか?」→「ガンジス川をきれいにするために、子どもたちにどのような教育をしていますか?」

言葉次第でこんなに違いが出てくる。質問も奥深さを感じました!

今日も多くの気づきをいただきました。感謝感謝 拝

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