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群衆の凶器に敏感になる

この世界は非常に厄介な問題が尽きることなく存在し、美しい質問を取り巻いている。困難な問題の奥の奥、その中心部分には、まだ発見されていない、偉大な価値のある疑問や質問が横たわっている。それを表面化させられれば、問題の本質がもっとはっきりと見えてくるかもしれない。

たとえば複雑な社会問題について。質問家たちは懸命になって問題をとらえ直そうとしている。医療問題、飢餓、環境保護、高齢者介護などはいうまでもなく、さまざまな問題で新しく、より優れた解決法が強く求められている。それらが鋭い質問で切り込むことによって明らかになるかもしれない。

そして教育。教育は、「問い、答える」という行為そのものだ。教師や学生、ライト・クエスチョン・インスティテュートなどの教育のイノベーターたちが問うべき質問とはどんなものだろう。もちろん保護者の抱く疑問も極めて重要だ。保護者が「どうすれば子どもに問いを促せるだろう?」という問題にじっくりと向き合うほど、詮索好きの子どもが育ち、そうした子どもたちは引き出しの豊かな、問題解決型の大人に成長する可能性が高い。だからこそ、美しい質問は追求する価値が高い。

また美しい質問を追求すればするほど、「充実して、好奇心が強く、面白い」自分ができあがる。

600人が働いているクリエイティブ部門のヘッドは、彼らを刺激し続ける必要がある。それには、まず自分自身を奮い立たせなければならない。

「どうしたら自分をつねに奮い立たせられるだろう?」と、いつも自問自答している。
「ちょっと待て、今を心のスナップに撮っておこう」とつねに周囲の刺激に気づき、意識できるよう自ら訓練してきた。そのためには、群衆の狂気に敏感になる必要がある。そして一呼吸置いたうえでその中心にあるものをつかむのです。人と共有できるような興味深いものや重要なものを。多くの人を突き動かす美しい質問は、バリエーション。

「どうすれば、人をしびれさせるようなひらめきをいつも得られるだろう?」

この問いは毎回新しい気持ちで、何度も何度も問われ、答えられなければならない。少なくとも成長、改善、イノベーションを続けたい創造的な個人には”完全な答え”は存在しない。

「よくわかった。これが自分の課題で、これが自分のやり方だ」と言い切るのは、堅実に見えながら、一点にすべてを賭けているのと同じことだ。「答えからは距離を置き、問いの中にい続けること」

私たちは、答えはとても退屈なものだということを受け入れなければなりません。苛立たしい存在でもある。私たちは質問に対して質問で答える。けれども私は、人生の複雑さに対して少し当惑しているこのスタンスは素晴らしいと思っている。

★今日の気づき★いつも間にか、答えを求めている自分がいることに気がつきました。会話そのものが、答えを探すため、答え合わせ、こんな時が多い。答えはとても退屈なものだということを受け入れなければなりません。というように答えを退屈なものだということを受け入れてみることからスタート!そんな考えは今まで持ったこともないので、ちょっとワクワクします。「答えからは距離を置き、問いの中にい続けること」この実践を今日はしてみよ〜。

今日も多くの気づきをいただきました。感謝感謝 拝

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