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頼もしく思って人を使う

「あなたは人使いが上手だ、その秘訣を話してくれ」とよく言われます。しかし、当の本人は人使いがうまい、といった自信はそれほどないのです。はたから見て多少そういうことが言われるのはどういうところなのかな、ということを私は考えてみたのです。

人使いということはいろいろ見方がありましょう。非常に強力な知恵と力をもっているから人を使うという人もありましょう。私自信はどうかというと私は逆なのです。強力な力も知恵も乏しいのです。だから人に頼るとでもいうか、人に相談するというか、そういうことに自然になるわけです。

それを受ける方は権柄ずくで命令されるよりも、相談されてみればいやとも言えないから、じゃあ協力しようかと、こうなる。そういう姿を見て、あいつは人使いがうまいと、こう感じられる場合もあるのでしょう。

が、私は人使いの上手下手というものは人によってみな違うと思うのです。非常に力のある人であって、だれに相談もせずして過ちなく事を決行するだけの立派な人は、やや命令的な態度をもってやったほうが能率があがりますし、また能率があがればそのあがった能率から生まれるところの成果は適当に分配されますから、それはそれでいいと思います。

しかしそういう力のない者は、私のやり方でやるほうがいいのではないでしょうか。私はたいてい会社の社員を見ますと、私より偉いという感じがするのです。一つは、私は学校も行っていませんからそういう感じがするのでしょうが、”彼はなかなか偉い青年だな”と、こう私は思ってしまうのです。

だから非常に頼もしく思うわけです。頼もしく思いますから、「君、こういうことをやってくれないか。君ならやれる。わしだったらやれないけれど、君ならやれる」と、こうなる。そうすると「それじゃあやってみましょうか」となる。そして一生懸命にやる。そうすると成功する。

これは、一つの成功のかたちです。そういうようなかたちができていたわけです。それで私の場合、幸い成功してきたわけです。ですから、言われてみれば、そういうこともやはり一つの人使いといえば人使いのやり方のうちに入るのかなと思うのです。

★今日の気づき★

『人をどう使うか』と考えるのではなく、そもそも人を『頼もしく思う』ことができていれば自然と周りの人が動いてくれるという事を学ばせていただきました。追い込まれると、「自分でなんとかしなければ」、「何としても」とと考えてしまいがちですが、そんなときこそ、力を貸してほしいと相談、頼めばいいんだなと気づきをいいただきました。難しく考えてしまうときこそ相談していこ〜と心も軽くなりました。

今日も感謝感謝 拝 

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