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【座敷わらし日記#2】ついて来たの⁉

「座敷わらし」に会えるかも⁉
そんな軽い気持ちで参拝した、京都の若一(にゃくいち)神社でした。
しかし、まさかの展開になりました。

1.西大路のパワースポット

JR京都線「西大路」駅から歩いて約5分
若一神社は、西大路通に面した交通量の多い交差点の近くにあります。
大きな木と、はためく幟(のぼり)が遠くから見えます。

一見すると、街中にある小さな神社ですが、境内は濃密な空間になっていました。ご祭神は若一王子で、熊野権現の御分霊とされますが、実際に鎮座しているのは、熊野三山の眷属「ヤタガラス」のようです。

拝殿前で祝詞を奏上すると、力強いご神氣が周囲に勢いよく広がりました。
初めての参拝ですが、神様の反応がとても良くて、熊野の神様との深いご縁を改めて感じました。

参拝前に若一神社について予習したものの、拝殿前で神様の名前を思い出せず、お友だちに聞いても分からず、失礼な参拝をしてしまったのですが、そのお陰か、宮司さんから神社について、たっぷりとお話を聞かせていただきました。「しっかり勉強しなさい!」という神様のご配慮かもしれません。

社務所の前にも、大きなご神木があり、癒しのエネルギーを放っています。
また、境内には「神供水(じんぐすい)」と呼ばれるご神水があり、清盛公が病にかかった際に、この水で熱を冷ましたと伝わっています。

近年は「座敷わらし」で有名になりましたが、清盛公の開運出世は本殿の神様のご利益だと思いますので、参拝されたら、まずは拝殿でしっかりご挨拶してください。

2.実は、京都は苦手なんです。

「座敷わらし」と清盛公の開運出世の話を知って、以前から若一神社のことは気になっていました。しかしながら、実は、私は京都が苦手なのです。

京都には神社仏閣がたくさんあるため、神社ナビゲーターとして皆さんをご案内したり、ホツマツタヱ研究のために訪れたい場所もあるのですが、京都の中心部は行く気になれないのです。

視える人から「過去世で、京都で焼け死んでいる」といわれたことや、陰陽師が仕掛けた呪術が今も残っていそうな感じと、平安時代から戦国時代、そして明治維新の血塗られた歴史の影響を受けそうな感じがして、あまり行きたくないのです。

今回は、どうしても「座敷わらし」が気になるので、お友だちに案内を頼んで、勇気をふり絞って行ってきました。

参拝したのは春分の日で「宇宙元旦」とも呼ばれます。それに加えて、吉日である天赦日、一粒万倍日、寅の日が重なる大幸運日で、この日の参拝そのものが開運につながり、「座敷わらし」とご縁を結ぶのにも最適な吉日だったようです。

⇩「宇宙元旦」については、コチラで解説しています⇩

3.いよいよ「楠木社」へ

小雨が降る中、いよいよ清盛公御手植えの楠木と精霊を祀る「楠木社」へ。
「座敷わらし」が宿るという楠木は、本殿のある境内と歩道を挟んで、西大路通に面した石垣の上にあります。

石垣の上は、楠木と小さなお社、磐座(いわくら)があるだけの狭い敷地で、すぐ横の西大路通は車がひっきりなしに走り抜けていきます。本当にここに「座敷わらし」がいるのだろうかと、不思議に思う環境です。

しっかり祝詞を奏上するという雰囲気でもないので、とりあえず簡単に略祓詞を唱えてみると、ご神木の放つエネルギーに包み込まれました。そのエネルギーが、とても気持ち良くて、うっとりしてしまいました。

しかし、感覚としてはご神木のエネルギーであって、「座敷わらし」がいるというのを、はっきり感じることはできませんでした。いろいろと「座敷わらし」が気に入ってくれそうなことを試してみましたが、結局、『このときは』よく分かりませんでした。

4.帰り道で違和感アリ

「座敷わらし」の存在はよく分からなかったなあと残念に思いながら、神社の前でお友だちを待っていました。その間も、ずっと、手のひらにエネルギーを感じていました。さすがパワースポットだなあと感心していたのです。

駅に向かって歩き始めたのですが、まだ雨が降っていたので右手に傘を持っていました。歩きながら左手に傘を持ち換えて、右手を下ろすと、まだエネルギーを感じます。

神社からは、かなり離れたのに「なぜ?」と思いながら、右手でエネルギーを探ると、私の右足に寄り添うように、温かいエネルギーを感じるのです。

そして、その温かいエネルギーは、私の右足にピッタリくっついたまま、一緒に移動しているのです。

これは、もしかして「座敷わらし」ではないのか?

そう思って歩きながら、右足の外側を探っていくと、腰の辺りに小さくて丸いものを感じます。これは頭なのかなあ、と思って小さな子と遊ぶ感覚で、頭をポンポンしたり、撫でたりしていると、だんだん熱くなってきました。

5.テンションが上がると熱くなる

たぶん、私が気づいたこと、遊んでくれていることを喜んでくれて、テンションが上がっているのだろうと思いました。

次に、手をつないでみようと思って、右手の手のひらを少し丸めて差し出してみました。すると、手の中と指先が熱くなり、ジンジンするような感覚があります。手をつなぐ意思が伝わったみたいで、しっかり手をつないでくれたみたいでした。

赤信号で立ち止まったとき、お友だちにも確認してもらうと、温かいものがあることは感じてもらえました。やはり私の勘違いではなく、この感覚は『座敷わらし』に違いないと確信しました。

西大路から自宅まで、電車を乗り継いで帰ってきましたが、ずっと私の足元に寄り添うようにいて、エスカレーターに乗るときは私の前にいたり、座席では並んで座っているような感じでした。

家の中では、ずっと私にくっついているわけではなく、ときには気配を消していて、どこにいるのか分からなくなります。家の中での様子は、次回以降に詳しくお伝えします。

次回は、私が楠木の前で試したことをレポートします!


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