発散型の発想 = 脳力 + 幼心 + 経験
発想するときに脳力、幼心、経験が必要であるという話をします
収束型の発想と発散型の発想があります
収束型の発想は論理や常識にきちんと従う堅実性が特徴
一方で発散型の発想は論理や常識にとらわれない柔軟性が特徴
論理性に強い人工知能と共生していく中で発散型の発想がより必要になってくるでしょう
発散型の発想に必要なことを以下で説明します
日本の教育は収束型の発想を育むことに重きを置く
日本の教育環境では、収束型の発想を育むことに重きを置いているように思います
高校受験のような暗記主体の学習を通して育まれるのは収束型の発想です
暗記主体の学習は正解があることに対しては役立ちます
しかし実社会のような正解が無い環境において、暗記主体の学習だけで実力を発揮することは極めて困難なことなのではないでしょうか
以下のリンク先の実例(学生時代に指導教官のもとで私が執筆した日本語の論文)をご覧いただければ、収束型の発想に対する理解が深まると思います
この論文は収束型の発想で書かれており発散型の発想は一切含まれていません
一方で発散型の発想は自由そのもの
例えばアインシュタイン博士の一般相対性理論は発散型の発想に近いです
万人向けの発想法は無いです
誰でも発想できるようになる方法は無くても、発散型の発想がしやすくなる方法はあると思います
発散型の発想 = 脳力(体力)+ 幼心(心力)+ 経験(技力)
の内容を以下で説明します
1.脳力(体力)
まず健康管理
発想はとにかく行動からです
全ては脳力作りから始まります
脳力は「体・心・技」の「体」です
体の状態が良ければ脳の状態も良くなる
私は脳を活性化することが大事だということは知っていましたが、脳の活性化のための具体的な行動はしていませんでした
ネット情報を見たり、書籍を読んでも、本質的な脳力にはならないと思い、それからは日々行動
身内の世話の間は家事から送迎まで全力疾走
数字でいうと家事は年間で約360時間(平均で1日1時間)
それに約2000の名言読解(和訳されたものより、原典を理解する方が脳力になる)
手と足は十分に動かし、脳の活性化は徐々に出来てきた気がします
ただ終わりはないです
これからも旅はしますし脳トレは続けます
2.幼心(心力)
次は態度
「体・心・技」の「心」です
ここは意外に思われるかもしれませんが、脳力の次に大事だと思います
大人心ではなく子供心で物事に取り組もうということ
常識を重んじる世の中ですから、「あれは禁止」「これもダメ」なことは多々ありますし、もちろん文字通り禁止は禁止、ダメなことはダメです
ただ、何でもかんでも論理に基づいて物事を行うと発想は得られにくくなります
因果関係に縛られ過ぎて常識を覆すような発想ができなくなる
そこで幼心です
常識はきちんと理解した上で、あえて幼少期の自分を思い出してみる
例えば園児の発想は驚異的です
とにかく好奇心が半端じゃない
「これは何?」
「どうして○○を食べなきゃいけないの?」
「ねえ何で?」
「これがあったらいいな!」
みたいな
この態度が理想的と思います
私は発想するときは大人心を一旦忘れて、あえて子供心を取り入れるようにしてます
論理を一旦忘れて、子供のように考えてみたら発散型の発想が出来るかもしれません
3.経験(技力)
最後は経験
「体・心・技」の「技」です
十分な経験値があるから直感が鋭くなる
経験から学んだことを柔軟に活かすと直感の鋭さが発想に反映されて、優れた発散型の発想になると思います
あえて文脈から外れて考える(論理から一旦離れて自由に思い浮かべて自由に発想してみる)ことも大事です
まとめ
発散型の発想は「脳力」と「幼心」と「経験」を兼ね備えた作業です
まず家事でもなんでも行動して脳力作りを、次に好奇心いっぱいに子供心で探求を、最後に経験から発散型の発想にしていく、という話をしました
この発想論は私個人の主観ですので参考程度にしていただければと思います
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