倒れないことを考えるよりも、起き上がる力が大切

今日も一日お疲れ様です。

議員になって10ヶ月ほどとなり、いろいろなお話を聞く場面があります。


①序章


その話の中で感じる

町民の『痛み』

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身体を叩かれたり、刺されたりする痛みではないけど痛みがある。

それは医療で和らげられる痛みでもない。

その痛みを知らないと、理解しないと、対策は立てられません。

だから聞かせていただく方も、痛むんですよね。

どうすれば痛みを和らげられるのか。

そのようなことを考えがちでした。


②痛いのは嫌い


町の中でも、多種多様な痛みがあると感じます。


大きな痛み

緊急を要する痛み

じわじわ増す痛み

成長のために必要な痛み

など

どれも痛いんです。

本当嫌ですよね。

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③起き上がった経験


今日ある打ち合わせで、『起き上がる』というキーワードの話が出ました。

起き上がる力は大切ですよね。

僕もそう感じます。


例えば、

産まれて初めて立つまでに何度も転んだり、頭をぶつけたり。

初めて自転車に乗るまでに転んだり。

部活動でもう動けなくなるぐらいの筋肉痛になるまでトレーニングをしたり。

罵声を浴びせられたり。


こうやって、世の中、何故なのか、各々がたくさんの痛みを経験されていると思います。

しかし起き上がってますよね?

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④起き上がり方を知ることで徳をする


『倒れないようにする』ではなく、

『起き上がる力』を知ること、身につけること。

赤ちゃんが、立つと転ぶかもしれないから立つのはやめて、ずっとハイハイしておこうという選択もできたはずです。

何で親が言う通りに、立たなきゃいけないんだよと思うことだってできたはずです。

何故立ち上がったのか?

これが大切だと感じます。


当然、痛みで倒れるのはしんどいです。

出来るならば、痛みで倒れたくないですよね。

大半の人がそうだと思います。


でも起き上がり方を知っている人は、倒されても起き上がれるコトを知っています。


人生は、ボクシングなどと違って、何回倒れたら負けなのかなど、回数が決まっていません。


何度でも起き上がってくる人こそ、無敵ではないですか?

驚異です。

起き上がり方を知っている人は、当然倒れたことがあります。

倒れたことがないと、起き上がることもできません。

ドラゴンボールでいう、サイヤ人のような存在なのかもしれません。

死の淵にいく度に、強くなるのがサイヤ人ですもんね


倒れないことを考えると、あるラインを越えられないのではないでしょうか。

起き上がり方を知っていれば、自分がどのラインまで行けるのかを把握できるのではないでしょうか。

そしてその倒れるラインを知って、起き上がって、伸び代を伸ばす方法を試す、を繰り返す。

倒れないように生きているより、起き上がる方法を知っている生き方を優先している人の方が成長していく気がしませんか?


誰しも、起き上がってきた経験があります。

起き上がってきたことは、案外無意識です。

時間が解決してくれたなどと感じがちですが、自分の思考も関与しています。

自分が打ちのめされたとき、どのように起き上がってきたのか。

痛くて倒れたことは、悪い思い出ですから思い出したくもないかもしれません。

でもそこにこそ、あなたにとって『徳』がありませんか?

振り返って、言語化してみると、自分流の答えが浮かび上がってくると思います。


ご興味あれば、自分の棚卸しをぜひ。

今日はこの辺で。

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