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楽譜のお勉強【21】クラレンス・バーロー『Çoǧluotobüsíșletmesí』

楽譜のお勉強シリーズ記事では、我が家に積まれている楽譜であまり目を通していないものを、音源と合わせて少しずつでも読んでいこうという意図で始められました。楽譜を読む際には詳細な分析はせずに、気が付いた点を感想のように書くというスタンスで、ゆるりと続けていければという姿勢です。ですが、読んでいただく皆さまに私の記事の内容が他で見つかりやすいものと被ることが少ないように配慮して曲を選び、少しだけ分析的な視点で曲がどのように作られているのかを解説したりもしてきました。今回取り上げるクラレンス・バーロー(Clarence BarlowまたはKlarenz Barlo、b.1945)の『Çoǧluotobüsíșletmesí』は、大変難解な書法によって作曲されたピアノ曲で、よほどの時間をかけて読まなければ分析的なことは書けません。なので、今回は本当に感想を書く回です。ですが、とてもご紹介したい作品ですので、取り上げることにしました。

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クラレンス・バーロー(Wikipediaではバーロウと表記されていますが、これは英語表記から来るものだと思います。実際にはBarloと本人が表記していた時代もある通り、バーローに近いという説もあります。バルロウ、バルロとも)は1945年インド生まれの作曲家です。イギリスとドイツで学び、オランダ、イギリス、アメリカで独自な活動を続けました。旋法を用いたコンセプチュアルな作品が多く、今回の『Çoǧluotobüsíșletmesí』(1978)も旋法的でディアトニックなメロディーが聞こえます。

タイトルの読み方や意味は分かりません。表紙をめくると本文タイトルページがあり、3段に分けて『Çoǧlu otobüs íșletmesí』と書いてあるので、YouTubeの表題もそのように記してありますが、作曲家ホームページでの表記は一行になっているので、この記事での表記もそれに倣います。

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『Çoǧluotobüsíșletmesí』は「2手以上のピアノのための」と記されており、一人以上のピアニストによって弾かれるべき作品だとされています。なるほど、楽譜に目を通すと、一人で弾くには相当な困難を伴う作品で、複数のピアニストがいれば何とかなる感じがします。リンクの録音は難易度の高い現代作品を数多く演奏してきたピアニスト、ヘルベルト・ヘンク(Herbert Henck)氏が独奏で挑戦したものです。シ、レ、ミ、ファ#の4音を全てのオクターブにおいて4分の1音低く調律して演奏される曲で、不思議な不協和がビリビリと響く面白さがあります。

記譜は3種類の音符でなされています。通常の黒丸(白丸)音符は普通に弾かれます。X型の音符はAusschübe(拡張)と呼ばれ、3種類の解釈が可能です。(1)普通に通常の音符として扱う、(2)ごくごく弱く弾く、あるいは他の方法で音色を著しく変化させて弾く、または(3)弾かない、の3種類です。X音符が出てきてからの対位法の扱いは大変複雑で、音域も極限的に広く用いられているので、X音符を全て弾くバージョンは独奏では不可能かと思います。ですからヘンクの録音ではX音符は弾かれていません。もう一つ、黒い長方形の音符が用いられます。黒長方形音符はWiedereinschübe(再挿入)と呼ばれ、やはり3種類の解釈で演奏することが求められています。(1)普通に通常の音符として扱う、(2)とても強く弾く、あるいはAusschübeの(2)とは別の方法で音色を著しく変化させて弾く、または(3)とにかく強く弾く、の3種類です。曲の後半では、X音符と長方形音符の使用頻度が如実に上がっていき、独奏版では静寂と強奏のコントラストがとても強く、厳しい音楽になっています。

作品は概ね4層の対位法で書かれており(同一声部内に和音が頻出するため4声ではなく4層としました)、伸縮するパルスの同音連打、音階、推移する和音、細かな音価分割等、特色豊かな層が互いに干渉したりしなかったりしつつ曲が展開していきます。

また、曲はa(A)からl(L)の12の部分から成り、それぞれに固有のテンポが、テンポ・モデュレーションの手法で導き出されていきます。最初のテンポはBPM80で開始し、その3:2が次のセクション(付点四分音符=80)、次はbセクションの5連符16分音符4つ分が一拍(BPM100)、という具合に前のセクションからの割合で次のセクションの新たなテンポが導きだされるのです。そのため、最後の方になるとメトロノームでは取り辛いテンポへと変化していきます。最後の3つのセクションのテンポはそれぞれ、170.67、102.4、102.4です(最後二つは同じ数字ですが四分音符、付点四分音符がそれぞれ拍に設定されています)。

楽譜の記譜にちょっと問題がある、というか演奏家に親切でない、と感じていて、とにかく楽譜が詰めて書かれていて、ポリリズムのズレを視認することが大変困難です。もちろんこの複雑な構造を弾流して練習することなどないと思いますので、一声部ずつ丁寧に読んでいくことを考えると最終的には身体に叩き込むことは出来るのでしょうが、もし私がこの作品を演奏しなければならないとすれば、確実にスペースを広くとった版に書き直します。密度の推移を視認するという意味ではコンセプトの伝わる楽譜ですが、演奏用としては読みにくい情報が本当に多いです。詰めすぎているので、例えば16分音符と8分音符が並んでいる箇所で、16分音符の符拘が極端に短く(あたかも印字ミスによる汚れのように)書かれていることもあります。コンセプトを視認させるための現行の楽譜の他に、演奏家のためにフォーマットをし直した楽譜とセットになっていると、より多くの演奏家がアプローチしやすいのではないかと感じました。バーロー自身の言によると、この作品の楽譜を書くのに、2000時間以上を費やしたそうです(作曲には4年間かかっています)。2000時間は大げさではないとすぐに理解出来る楽譜で、このバージョンを破棄して新しい版を作ることなど出来ないでしょう。演奏に便利ではないとしても、これはこれでものすごい迫力の楽譜なのです。

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(詰めすぎで16分音符の符拘が短すぎ問題)

全ての音を十分な音色と強弱のコントロールをもって演奏できるように、本作は2006年に4台のピアノで演奏するヴァージョンが作られているそうです。ピアニストが一人から二人になるだけでも色々出来ることがありそうですし、たくさんのヴァージョンを聞いてみたい作品です。

私が所持している楽譜はfeedback studio verlagによって出版されたものですが、現在この出版社はありません。出版社を経営していたのは作曲家のヨハネス・フリッチュ(Johannes Fritsch)で、2010年に彼が亡くなったタイミングで出版社もなくなりました。feedback studio verlagから出版されていたフリッチュ作品は現在ご遺族によってedition johannes fritschが引き続き取り扱っているようですが、他の作曲家たちの作品群は作曲家本人に戻されました。バーローのようにまだ存命の作曲家の作品はご本人に連絡を取れば入手出来そうですが、他にもこの出版社が扱っていた作曲家の中で、すでに亡くなっている方もいて、とても目の付け所の面白い出版社だったために、大変アクセスが難しくなってしまった作品があることはとても残念です。

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