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楽譜のお勉強【15】ディーター・マック『室内楽 II』

新年初めてとなる「楽譜のお勉強」記事では、気分も新たにこれまでと違った方法で楽譜を読んでみる試みをしてみます。このシリーズでは私の自宅に保管されている楽譜の中であまりちゃんと読んだことのないものを、音源と併せて一応丁寧に読んでみて私なりにその考察を書くという趣旨です。しかし、楽譜を読むというのはなかなか難しいことで、他の方の分析論文を読んだり、作曲家の言葉を参照しながら読んでみたりしながら、ゆっくりと読譜能力を高めていくものです。今回はディーター・マック(Dieter Mack, b.1954)というドイツの作曲家の『室内楽 II』(»Kammermusik II«, 1991)をベルント・アスムス(Bernd Asmus, b.1959)という音楽学者が分析した論文を参考にアスムス氏が楽譜から読み取った内容を確認していく勉強の仕方をしてみたいと思います。

ドイツは作曲家研究が大変さかんな国です。大小様々の出版社が色々な時代や国の作曲家について各大学や研究機関で書かれた論文やエッセイをまとめた本が毎年かなりの数出版されます。ディーター・マックはガムラン音楽研究で有名な作曲家で、インドネシアに滞在もしており、また最近までリューベックの音楽大学で教鞭を執って後進の指導にあたっていました。ドイツの作曲界では知られた作曲家ですが、大きな音楽祭からの委嘱でどんどん作品を発表するというわけでもなく、地道な活動を続けてきた作曲家です。しかし、活動に派手さの少ないマックのような作曲家でも、研究する音楽学者はしばしばおり、Pfau-Verlagから彼に関する論文集『ディーター・マック〜Aならば、A』(トルステン・メラー編)が出版されています。

この本は論文テーマごとに彼の文化的背景を概論した章、彼の音楽における歌と打楽器の重要性にフォーカスを当てた章、いくつかの作品ごとに楽曲分析論文を載せた章、結論の4部分に分かれています。筆者は、音楽学者の他に作曲家や音楽教育者等様々です。

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『室内楽 II』の編成は以下の通り。フルート(ピッコロおよびアルトフルート持ち替え)、オーボエ(イングリッシュホルン持ち替え)、バスクラリネット(クラリネット持ち替え)、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、打楽器(1奏者、クロタレス、トムトム、ウォータードラム、ウッドブロック、ゴング、ウーハン・シンバル、タムタム、大太鼓)、ピアノ。演奏時間はおよそ20分です。

アスムスは作品を作曲素材ごとに整理して10の部分に分けました。この部分を彼はRaum(英語のroomに相当)という言葉で表現しており、これは「部屋」とか、「空間」とか訳されることが多いのですが、全論文の意味を壊さない表現として、本記事では「領域」という言葉を用います。「部分」と訳すと少しニュアンスが違う箇所が出てくるので。論文の冒頭でこの作品を聴いた「感じ」を2つの印象でカテゴライズしています。まず「形式の形成、音高の処理、リズム、楽器の対応を推測できる統一された基本的なムード」がこの作品全体にあるとしています。そして、「音の動きをある種の儀式のように制御している」点を挙げています。この2つの「感じ」を読み解くために全体を10の領域に分け、なおかつ、各領域ごとに短い説明文を挙げています。

領域1「離れており、慎重で手探りで、隣接する領域がある」
領域2「模倣を伴う副音節の形成」
領域3「統一と絶望」(意味が分かりませんが、他の訳し方が分かりません。)
領域4「崩壊と空(くう)」
領域5「遠くの領域が近づいてくる」
領域6「突然発生するものと行き詰まり」
領域7「ソロ対グループ、その統一のプロセス」
領域8「開放的で広い領域」
領域9「グループによるプロセス」
領域10「突然開いた領域」

なお、それぞれの領域を結ぶ短いトランジションに関しても彼は言及していますが、長くなるのでこの記事では割愛します。

領域1冒頭において、pppで6音からなる和音を弦楽器が奏し、同時にバスクラリネットの「稲妻の音型」が強奏で曲は開始します。弦楽器は同じ和音を多少イントネーションを変えながら(たまに微分音でグリッサンドの上下動しながら)フィボナッチ数列に現れる数を組み合わせた拍数でバックグラウンドを形成します(8-3-5-1-2-1-13-5-8-2-3-21…)。そして、ピアノと打楽器(トムトム)によって、この曲の構成の核となるリズム構造が演奏されます。こちらはフィボナッチ数以外の数も現れます。ピアノと打楽器が一通りリズム・パターンを演奏したら、打楽器ソロでリズムバリエーションが始まります。その際にフルートの息ノイズが参加し、弦楽器のバックグラウンド和音を補強します。領域1の終わりではピアノが最低音域でドラムの役を担うことによって冒頭の対応グループ内での役割が壊れ、領域の秩序が不安定になったことが新たな領域への移行を暗喩しているとアスムスは読みました。確かに、停滞した弦楽器の和音に乗って不規則なリズムを太鼓とピアノが演奏している景色から、新しい何かが出てきそうな予感がします。このピアノを契機として弦楽器の役割であったバックグラウンド和音は管楽器群に音域を高音域にして受け継がれます。

続く領域2は前領域から受け継がれた木管楽器群が下行することから始まります。旋律的には、フランスの作曲家オリヴィエ・メシアンが提唱した移調の限られた旋法を用いたメロディーになっています。この領域は落ち着きのない領域で、ドラムロールが不安感を煽り、激しい上下動をする木管楽器の唐突なジェスチャーが聴かれます。木管楽器群と打楽器+ピアノは模倣し合う関係性を築きます。木管楽器に呼応するように弦楽器が強奏になりますが、その際にオーボエだけ木管楽器群から離脱し、弦楽器群の役割である背景和音へと移行します。

領域3は高音部の木管楽器の複雑なリズムユニゾンで始まり、即座に弦楽器によって模倣されます。ただし、模倣は中音域へと下がり、極端な高音配置であった音楽が中音域へと降りてきます。また、管楽器、打楽器、ピアノの全てが弦楽器のリズム奏に合流し、全員で複雑なパルスの音楽を奏します。

領域4は領域3から引き継がれたリズム奏のような始まり方をしますが、開始からすでに3ペアのグループに分けられており、それぞれすこしずつ違ったリズムを奏しています。グループはアルトフルートとヴィオラ、バスクラリネットとチェロ、ピアノとウォータードラム(水を張ったボウルにそれよりも小さなボウルを浮かべたもの)です。この3ペアはカノンを奏しているのですが、フィボナッチ数の比率2:3:5で次第に音価が伸びて行き、閑散とした音の空白が目立っていきます。音の密度が下がるにつれて、音高も不確かになっていき、ノイズ中心になります。

長い休止の後、第5領域で弦楽器と管楽器が動きのほとんどないコラールを奏します。ピッコロとバスクラリネットのみ途中から動きの豊かな旋律線を奏します。起こっている事象の少ない領域ですが、空白はなく、埋め尽くされた領域となっています。

次の領域6は作品全体の中でも最高密度の領域です。アスムスは満員と表現しています。全員がアグレッシブに複雑なリズムを刻む箇所があります。複雑なリズムは五連符、七連符、三連符のペアで構成されています。各リズムユニット毎に拍が揃い辛い組み合わせにリズムを書いてあるので、ベースとなる拍感が強調されることもありません。ギザギザと動いていた和音は次第に固定化して、リズムだけ残したフリーズ状態になります。

領域7は管楽器と弦楽器による大グループと打楽器ソロの対話のようです。インパルスを複雑な数列操作で演奏しているグループとソロが交替で演奏します。たまに同じタイミングで演奏したり、少し協奏的な感じがします。アスムスはここでもリズムの操作を読み解いていて素晴らしいと思いました。

領域8は冒頭の基本リズムに戻ったウォータードラム・ソロをチェロの保続音的なピツィカートが支える内向的な音楽です。領域での音楽が進むとピアノがウォータードラムに対応するように低音でリズムパターンを奏して響きを補強します。

どこへも向かわない領域8を出ると唐突に強奏の全合奏で第9領域に突入します。しかしそれはすぐにほどけて、不安定に刻むパルスのユニゾンへと向かいます。やがてそれはバスクラリネット、チェロ、ピアノのみを残して(背景にトムトムのトレモロ)領域7の引用をします。

最後の領域ではこれまでの音楽との関係性が希薄になります。チェロが「自由な」ソロでピツィカートによるメロディーを演奏します。最も開かれた空間で、他に何もありません。集合による制約を受けなくなったチェロですが、しかしそのためにこの「自由な」ソロは完全に異質で個別な表現という感じもありません。ソロがそこに入った、という感じ。最後は再びゆっくりとした和音のコラールが忍び寄ってきて、チェロ独奏と混ざります。「自由」であるはずのチェロには、集団の中でのイディオム(ここではウォータードラムの模倣のよう)としてコミュニケーションしていく以外の道がないようにも聞こえます。

要約しながらアスムスの読んだ『室内楽 II』を一緒に聴いてきました。論文は最後にいくつかのマック自身の言葉の引用と共に締めくくられています。

「奏者間のコミュニケーションの形態の種類には、平和的な異議、物議を醸し出す異議、不一致、わずかに異なる立場、連合の形成、合意、それらの混合形態が含まれています。『室内楽 II』は、独立した音楽的文脈の範囲内で対人関係の側面を考察、実現するための第2の試みです。(第1は『室内楽 I』)」

どこへも行かずに放り出されたような曲の終わり方にとても共感しました。他の人の読んだ内容を確認しながら作品を聴いてみることは、とても勉強になります。この後、自分でよく考えてみて、本当に賛同できるか、本当は何を言っているのか、自分の音楽にどう関係するのか、内省してみたいと思います。マックは演奏者間の関係性について大変深い洞察を含んだ作品を多く発表しています。他の作品も勉強していきたいと思いました。

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