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楽譜のお勉強【28】R. マリー・シェーファー『月光への碑文』

定期的に続けさせていただいている、この「楽譜のお勉強」シリーズの記事で取り上げる曲を選ぶためには、ちょっとした下準備があります。普段から家の棚の色々な楽譜をただパラパラめくってなんとなく楽譜の印象を頭の隅に残しておいたり、ちょっと印象深ければ音源と合わせて眺めてみたり。記事が書けるかなと思えるくらい読むための動機付けは結構難しくて、他の曲と特徴的な差異がしっかり認められるか、曲の個性を私の言葉で伝えられるか、曲を他の音楽ライターの方々が紹介しすぎていないか等、考えることがいくつかあって、開いた楽譜をそのまま記事に書けるわけではないのです。興味が起きて少ししっかり読み始めたけれど、途中で興味を削がれて辞めてしまう曲なんかも意外と多かったりします。

本日ご紹介するレイモンド・マリー・シェーファー(R. Murray Schafer, b.1933)の『月光への碑文』は私の記事でご紹介する曲の中では著しく有名な曲で、本来ならそれほど私が書く必要を感じない題材です。日本での演奏歴も結構な回数が認められる合唱の名曲です。この度私がこの作品に関心を持ったのは、読者の皆様に音源をお届けするのに便利なYouTubeでこの作品を検索したところ、作曲者の許可を得てスコアと共にアップしていた合唱団があり、なおかつその動画のスコアが私の持っている版と結構な違いがあったからです。

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R. マリー・シェーファーはカナダの作曲家ですが、その作曲活動以上に「サウンドスケープ」という概念の提唱者として有名です。「音の風景」または「音風景」と訳される言葉ですが、風景に含まれる音環境を切り離さず、風景の一部としての音環境をデザインする「サウンドスケープデザイン」など、今日の街の設計等の重要な要素を生み出すきっかけを作りました。作曲家としてのシェーファーの作品を聴く機会は、初期の合唱作品を除くとそれほど多くはありませんが、長年作曲を続け、多岐に渡るジャンルに優れた作品をたくさん残してきた作曲家です。

シェーファーの合唱作品の中でもその幻想的な響きで一際人気の高い作品が『月光への碑文』(»Epitaph for Moonlight«, 1968)です。ウニフェルザル社によって出版された楽譜の前書きには、学生合唱団のための練習曲として書かれたと記載されています。混声16部で無伴奏、もしくはオプションで金属打楽器群を伴って演奏されます。楽譜はグラフィックに描かれた図形楽譜で演奏の自由度が高いですが、最初に導入する声部が任意の音高で入ってからは、後続の声部は数字で示された音度関係(-2=短2度、+3=長3度、等)でハーモニーをきっちり作っていく箇所が多い作りになっています。時間も秒数が指定されているので、厳密な拍分割等はしないまでも、ビート自体は割と厳密にカウントして合わせることで、セクションごとのまとまりが崩壊しないよう工夫されている仕様になっています。

短2度のハミングの堆積で半音トーンクラスターを形作る冒頭から、オノマトペを重ねてクラスターに表情を与え、協和音だけを残してカットしたり、5分弱の中に効果的な演出豊かに構成されています。ハーモニーを味わう喜び、自由に声で表現する楽しみ、不可思議な個人パートがアンサンブルの中で役割を果たす達成感等、合唱を学ぶ学生に向けて作曲されたという目論見が生きています。グラフィックな楽譜も美的感性を刺激するもので、シェーファーの作品の多くで特徴として見られます。その楽譜の様子は以下のリンクを聴いていただくと、全部を見ることができます。

この作品は、存命の作曲家の作品としては珍しいことですが、現在二つの出版社から購入することができ、一つは先に述べたウィーンのウニフェルザル社(Universal Edition)、もう一つはシェーファーの個人出版社である、カナダのアルカナ社(Arcana Editions)です。動画の楽譜は、アルカナ社のもので、私の所有するウニフェルザル社のものと、一部違いがありました。

まず、ウニフェルザル社のものは原譜の楽語や注釈の英語表記を全てドイツ語に直してありました。これはまあ、国際スタンダードからは外れているかもしれませんが、ドイツ語圏でのレパートリーとして定着させる意味はありそうです。次に、原譜では図形の曲線がそのまま目に飛び込んでくるような描き方で、方眼上の点線による補助線がありません。持続を示す横線と、各パートの入りに描かれる弧のコントラストによって、白紙部分の背景効果が出ています。ウニフェルザル版では、多くの箇所に補助線が点線で引かれ、まるでグラフ用紙に描かれた製図のように見える箇所が散見されます。「この線はなくても分かるよな」と思ってしまう箇所も実はたくさんあります。しかし、これらの線も、演奏のクオリティを左右する要素になり得ます。

ここから述べる残り二つの版ごとの違いは、上述の二点以上に演奏の内容が変わる可能性のあるものです。時間が秒数で示されていると述べましたが、アルカナ版ではca. 30”(およそ30秒)のように、セクション毎のおおよその時間が書いてあります。それに対し、ウニフェルザル版では、「およそ」という言葉が割愛され、グラフ状に一秒ごとに分割された線を用いています。指揮者の立場で考えれば、「作曲家が書いた情報は大事」という視点で読めば、どちらの表記にしてもセクション全体の長さが大きく変わることはありません。ですから、おそらく聞き手にとっては些細な差異の問題かもしれません。ですが、歌い手である学生の視点で考えると、練習する内容が違っている気がします。カウントを学ぶのか、大まかな時間の流れの感じ方を学ぶのか。この差は意外と大きくて、作曲者は後者のために「およそ」という言葉を付けたと考えるのが普通です。どちらの方が良いという問題ではありません。異なる美学によって音楽時間が支えられていることにならないか、という問いが残ります。

最後の違いは、アルカナ版では補助線が引かれていない余白を活かして、表現上の注意やコメントがスコア上に書き込まれているのですが、このコメントがウニフェルザル版からは全て消えています。もちろん大事な情報ですので、ただ消した訳ではありません。楽譜冒頭の説明書きページに全て移されていました。すなわち、説明書きページをよく読んで、ちゃんと覚えてスコアを見て歌うのです。これに関してはどちらが良いのか、自分の中で答えが完全には出ていませんが、私はアルカナ版のスタイルを採用することが多いです。つまり、「この曲のこの部分は特にこう演奏してほしい」と思っていることや「この曲のこの記号はこういう意味です」という情報は、その場面に来た時に説明すれば良い気がするのです。もちろん曲中に何度も出てくる記号に関しては冒頭に説明して覚えてもらいます。ですが、曲中で一度しか留意しなくて良いことをわざわざ暗記して演奏するのもなかなか大変だなと思ってしまうのです。もちろんそのように前もって準備した読譜によって曲が演奏されるならば、より音楽が身体に叩き込まれた内容になり、充実した演奏になる可能性もあります。しかし、多くの場合は準備時間・練習時間を考えると、冒頭の説明を当該ページにメモとして書き込んで演奏するような気もします。このエディション毎の違いは、私に再び自らの記譜のフィロソフィーと向き合うきっかけをくれました。判断の難しい話なので、また曲ごとに逡巡するのだろうなと思っています。結局は、自作だとしても個々の作品が求める美学に寄り添うしかないので、惰性で自分の筆のスタイルを確定していかない方が良いな、などと改めて考えたりしています。

話は少し変わりますが、楽譜制作プログラムの良し悪しをよく考えることがあります。大幅な変更がある時には編集には大変な時間節約のできる便利なツールです。しかし、元の楽譜を書く場合には、意図した楽譜の自由度によっては楽譜制作プログラムを用いることは全く時間節約にはならないこともあります。そういったプログラムのシステム上の不便を、自分の楽譜の妥協に結び付ける決断だけはしたくないといつも思っているのですが、この想いを強くすればするほど、やはり楽譜制作プログラムは不便です。基本的には最強に便利で有益なものなのですが、痒いところには指先すらも遠く感じる時があるのも事実です。

ウニフェルザル社出版の『月光への碑文』は、フランツ・ブラスルさんという方が編集しています。学校教育音楽等をいくつか作曲もしている方で、ウニフェルザル社の学生向け楽譜のいくつかの編纂に携わっています。アルカナ版との違いがありながらも、編者の意図はしっかり伝わる楽譜でした。古典作品での版の比較学習は頻繁に行われるものですが、先述のとおり、現代の作品では著作権保護の観点から稀な事案です。有名な現代作品の例としてはヘルムート・ラッヘンマンの『プレッション』や『弦楽四重奏曲第2番』、ルチアノ・ベリオの『セクエンツァ I』などがあります。出会うたびに自分の記譜の哲学を問い直させる案件ですが、偶然発見したこのシェーファーのヴァージョン違いも、楽譜を書く奥深さを改めて気づかせてくれるものでした。

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