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楽譜のお勉強【34】マルティン・クリストフ・レーデル『炎の舞』

2020年まで私が住んだドイツのデトモルトという町は、人口7万人ほどで、急行も止まらない小さな町ですが、音楽大学があり、毎年小さな現代音楽祭なども開催されていて、町の規模に比べて音楽文化が充実しています。市の経営する劇場では毎年現代のオペラが上演されておりますし、数年ごとですがオペラの初演などもありました。

マルティン・クリストフ・レーデル(Martin Christoph Redel, b.1947)はこの町で生まれ、北西ドイツ音楽アカデミー(現・デトモルト音楽大学)で学び、母校で教鞭を執り、母校の学長まで務めた経歴を持つ作曲家です。ドイツにはこのような「町の作曲家」とも言える作曲家が何人もいます。小さな町の音楽文化を代表するような活動は、大都市に生まれ、その都市で活動するのとはかなり事情が違います。中央集権化がそれほど極端に進んでいないドイツのような国では、このような作曲家たちが町の中でじっくり活動して、地域色溢れる音楽シーンを形作っているのです。ヨーロッパの国際音楽祭で、しばしばこういった小都市を活動の拠点にしている作曲家の作品が取り上げられますが、大都市で頻繁に聞かれるメインストリームの音楽とは方向性が違っていることも多く、音楽祭を色彩豊かなものにして、ヨーロッパの音楽シーンの裾野の広さを垣間見せてくれます。

レーデルの『炎の舞 作品69』(»Feuertanz« for 2 flutes and piano, op.69, 2010)は、2011年にウェルツェンという小さな町で行われた第14回フリードリヒ・クーラウ国際フルート・コンクールの課題曲として作曲されました。2本のフルートを用いていることから、このコンクールにはデュオ部門があるのでしょう。新作課題曲はコンクールの意図を反映して書かれていることがほとんどです。確認したい技術が散りばめられていますし、音楽性という抽象的なクオリティにも、何らかの優劣が聞き取れるように書かれていたりします。

『炎の舞』では、フルートにもピアノにも今日の音楽を演奏する際に求められることの多い「基本的な」特殊奏法が要求されています。フルートには、フラッタータンギング(巻き舌奏法)、ビスビリャンド(替え指によって色彩感を変えた同音連奏)、タングラム(舌で吹き口を勢いよく塞ぎ、低音を出す奏法)、ピツィカート(弦楽器のピツィカートのようなクリスプな音を出す舌や唇による奏法)が求められています。これらは今日ほとんどスタンダードな奏法といっても良いほど、頻繁に用いられる奏法です。ピアノは、無音打鍵による倍音共鳴、内部の弦を指もしくはピックで弾く奏法、ミュートした弦を掻き鳴らしペダルで残した和音だけを響かせるハープ奏法、弦をミュートしながら打鍵する奏法が用いられています。

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新しい奏法の説明をすると、いろいろな新しい響きが聞こえそうな気がしますが、これは作品の内容によって様々です。古典的な音楽の発想に近い構造を持った音楽では、特殊な奏法の響きはこれまでの楽器の表現の拡張として聞こえることが多く、新しい音楽構造そのものに寄与する響きではないことも多いのです。レーデルはケルターボルンやクレーべ、ドリースラー、イサン・ユンといった作曲家に学びましたが、特に感じるのはケルターボルンやクレーべの音楽に通ずる古典的な均整です。『炎の舞』も、特にモチーフの扱いが古典的作曲技法と通じており、素直な音楽展開が聞こえます。

音楽は相当描写的で、様々な奏法が駆使されていますが、描こうとしている情景は具体的なように見えます。冒頭で倍音を残しながらピアノが短く打鍵している様子は、爆ぜる火の粉(打鍵)と、そこから立ち上がる熱気(残響倍音)のような効果があります。フルートがピアノの音をなぞってごく弱奏で参入して、トリルへ受け継いでいくのは、揺らぐ空気のような趣を感じます。2本のフルートが一気に上昇して舞が始まります。

10小節から始まる「とてもリズミカルに(molto ritmico)」からは、舞と言えるでしょう。スタッカート、レガート、同音連打等の特色あるアーティキュレーションが、短いモチーフで層状に重ねられています。音はかなり自由ですが、音の動きの輪郭にはそれぞれのモチーフごとに方向性があって、短いモチーフをパズルのように張り巡らせることで、笛の音に合わせて踊る人の影と、それを彩る火の粉とその周りの空気が描き分けられています。

景色が大きく変わる60小節からは滲むような対位法でフルートのアンサンブル力が試されています。狭い音域でじわじわと一緒に上行していく様子は、渾然一体となっていて、まるで分厚い一つの声部のような動きを見せます。対になっているピアノはピツィカートで下行音型を奏し、場を整えます。再びリズミカルな舞が続き、131小節目から、フルート2本が自由に駆け上がり、落下することを繰り返していきます。ここではフルートに一体感はなく、4:3のポリリズムで上行と下行のタイミングもそれぞれ異なり、錯綜としたテクスチャーが生まれています。いよいよ舞い上がる炎と熱気といった感じでしょうか。舞も大詰めのここでは、ピアノは荘厳なコラールを演奏しています。ここでのピアノのリズムはフルートの4:3の4に寄り添ったり、3を強調してみたり、はたまた5連符で更なるリズムのひずみを生み出したりしています。フルートの素早い動きとピアノのゆったりした音楽が噛み合って、とても大きな音楽が編み出されいます。

細かいアンサンブルの技術を見る箇所があり、大きな音楽の設計を聴く箇所もあり、コンクールの課題として、意図が分かる作品です。若い演奏家がまだそれほど慣れていないかもしれない奏法をしっかり手中に修めつつ、古典の音楽で要求される音楽作りの基礎もしっかり聴こうという意思を感じます。コンクールの課題として書かれた作品は、その後レパートリーに定着しないことがあります。しかし、この作品は今でも時折演奏されているようで、割と新しい動画を見つけたので読むことにしました。たくさんの演奏家の演奏を一度に聴く機会というのは、作曲家にとっても稀なことだと思います。私は課題曲を作曲する仕事をしたことがありませんが、機会があればいつか取り組んでみたいと思いました。

私がデトモルトに引っ越した頃には、彼は既に定年退職しておりました。しかし、いつも町の演奏会ではお見かけし、何度か言葉を交わしたことがあります。いつも温かい励ましの言葉をくださって、紳士な方でした。またお会いできる日が来たら嬉しいです。

*「楽譜のお勉強」シリーズ記事では、著作権保護期間中の作品の楽譜の画像を載せていません。ご了承ください。

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