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楽譜のお勉強【75】ヘルマン・ケラー『ピアノ・ソナタ第2番』

ヘルマン・ケラー(Hermann Keller, 1945-2018)はドイツのザクセン=アンハルト州のツァイツという町に生まれたピアニスト・作曲家です。ワイマール・フランツ・リスト音楽大学で学び、ベルリン・ハンス・アイスラー音楽大学で教鞭を執ったりしながら、主にベルリンで活躍しました。ピアニストとしてジャズの音楽祭にも参加したりもして、ジャンルをクロスオーバーする活動をしました。ピアニストとしてCD録音参加も多く、作曲家としての重要な作品にもピアノ曲が多く含まれます。同姓同名の教会音楽家・音楽学者(1885-1967)がいて、こちらもそれなりに有名ですが、今日作曲家として演奏会のプログラムで名前を見ることがあるのは1945年生まれの方です。

現代の作曲家としては珍しく、ケラーは3曲のピアノ・ソナタを残しています。本日読む『ピアノ・ソナタ第2番』(»2. Sonate für Klavier«)は2001年の作品で、第1番が書かれた1974年から実に四半世紀後に創作されました。長い休止を経て取り組んだソナタは演奏時間30分近くある全5楽章の大曲となりました(第1番は18分ほど)。続く第3番(2008)は一人のピアニストが弾く独奏曲ではあるのですが、通常の平均律のピアノと、四分音下げて調律されたピアノの2台を用いる特殊な曲で、普通のピアノ曲のリサイタルなどではまず取り上げられません。

作曲家本人がピアニストだったこともあり、ケラーのピアノ音楽は指の遊びに満ちたピアニズムがよくみられます。エディツィオン・ユリアーネ・クライン社から出版されている出版楽譜は作曲家の自筆譜のリプリントで、いくらか書き間違いがあります。音部記号の変更忘れ(後で二重に低音部記号への変更が出てきたりするので、確実に間違いです)、拍子の変更の記載忘れ、拍子内の拍数の不足等です。筆致はとりわけ読みやすいということはなく、速い音型を詰めて書きすぎて、音符の縦線がうねったり、他声部との縦の線がたまに揃っていなかったり、演奏にそのまま用いるには判別困難な要素が多いです。作曲家の自筆譜を読む楽しさはありますが、演奏家に普及させるためにはやはり、丁寧に浄書された楽譜を出版した方が良いでしょう。しかし現代音楽の楽譜はそんなに売れるものではありませんから、浄書屋に依頼もしくは自社で浄書する経費との按配は繊細な決断が必要になりそうです。結局、よくあるシチュエーションとしては、どうしても演奏したい演奏家は自筆譜リプリント楽譜を自分で書き直す感じになっています。

第1楽章にはタイトルも楽想表記も速度表記もありません。奏者によって自由な幅でテンポを設定できますが、なんでも良いわけではないというのが、演奏の常識です。書かれている音楽内容を吟味して、その構造が聴取できるのに最適と思われるテンポを設定するのが通常です。すなわち、声部数、声部の関連の複雑さの度合い、最短の音価の演奏可能速度、最短の音価と長いの音価の差異(コントラスト)、等の要件を考慮して相応しいと思われるテンポを導き出すのです。この第1楽章は概ね2声で考えられており、ときどき声部数が増えて3声部まで混み合います。ただし、各声部は一本線ではなく、色彩や厚みを加える和音として弾かれることも多いです。音楽的要素の層は大体2本の筋によっているという感じです。軸になる息の長い旋律線は長い音価で書かれ、その周りに装飾句として32分音符の三連符などが散らされているという感じです。2つの旋律線は対位法的、相互補完的な関係で書かれているので、それぞれの線に自由な装飾句が付加されることで、拍節感はかなりほぐされ、重心を感じにくい即興的な趣の音楽になっています。中間部に装飾句を伴わないロングトーンによる単旋律箇所が現れ、強い表現力を見せます。また後半では旋律線の軸になる音の音価を短くすることで、給付に挟まれて装飾句ば浮き立って聞こえるような仕掛けになっていて、楽章全体のコントラストを構成しています。

第2楽章は「無窮動」(Perpetuum mobile)と題されています。テンポは8分音符=最低184という設定で、とても速い音楽です。5/8拍子で始まり、拍として定められている8分音符は非常にしばしば三連符の形で用いられるため、とにかく速いですし、運動性が魅力の楽章です。1小節もしくは2小節を複数回繰り返すことを積み重ねて進行する音楽で、まさに無窮動という感じです。最初の小節ではBb、B、C、Dbの狭い音域のクラスターが分散された形で奏され(最低5回繰り返す)、次の小節ではこれにA音が加わります。さらにAbと、徐々に使用音域を広げていきます。Abに続くGが出てくる8小節目(繰り返しを含むと26小節目以降相当)で、音域を広げるトリックが出てきます。それまで音域は下方へ伸びていっていましたが、Gは上方に現れます。また、Gの直後に下方に拡大されるのはGbではなく、Fです。これにより、密集トーン・クラスターを分散していた呪縛は解かれ、突出した音がリズミカルな音楽をさらに生き生きさせていくことになります。この後も少しずつ拡大していく音域ですが、それ以上に重要な要素として、14小節目に現れる短い音価の同音連打があります。最初の小節から、同音連打は出てくるのですが、それは拍を二度打ちしている使用に限られていました。しかし拍の三連符という素早い音価での二度打ちは、もつれ転がるようなこの楽章にさらに繊細な震えをもたらします。その後、音域を拡大しながら32分音符というさらに速い音価が現れ、連打音の数も4回まで増えていきます。音が増殖していく感じです。増殖が落ち着いたあたり、29小節目から長い音価の旋律が現れます。無窮動的なパターンは旋律線の伴奏としてオートマティックに続きます。曲の後半になると32分音符の6連符が頻出するのですが、これは流石に設定のテンポ上、複雑なことができるわけではありません。なので、指を流す感じのパターンを繰り返す書法になっています。この超速箇所が終わると、休みなしに第3楽章に突入します。

第3楽章「哀歌」(Elegie)は、第2楽章と変わってコラール的な筆致によって、長い旋律線を歌う音楽になっています。ただし、この楽章も第1楽章と同様にテンポ指示がありません。テンポ指示がない場合、先述のような要素を考慮してテンポを考えだしますが、ここではタイトルがあるため、このことがテンポ決定に大きな影響を与えます。「哀しさ」を伝えるテンポになっているかどうかが、決め手の一つとして大きいということです。また、テクスチャーとしては分厚い和音を中心にした筆致で、このような書法の楽章は基本的には緩徐楽章として扱われます。緩徐的に扱ってほしくない場合は、逆に楽想記号かテンポ記号によって指示をする必要があるということです。しかしどちらにしてもテンポ設定の幅は具体的に示されている場合に比べて大きく、演奏家による個性が聴こえやすい音楽です。このようなゆっくりな楽章をびっくりするくらい音を繋げて本当にゆっくり弾ける演奏家はとりわけ上手だと個人的には感じます。旋律線は基本的に高音部を推移していますが、楽章の最後の方に完全4度をどんどん降りてくる箇所があります。伴奏和音もほとんど動かないので、楽章の中でも際立って個性的に聞こえます。

第4楽章は第5楽章とセットになっていると考えるのが良さそうです。第4楽章には「序奏」(Introduktion)というタイトルが当てられていますが、真ん中を過ぎて「序奏」と言うのも変な話です。ただ、この楽章は第5楽章「ロンド」(Rondo)へと休止なく進行するため、古典作品にときどき見られる「序奏とロンド」だと捉えることができるのです。序奏部は取り立ててロンドの音素材の要素はなく、先行楽章とも関わりは希薄に見えます。断片的に狭い音程のクラスター和音が点描的に置かれ、その合間に息の長い旋律線が現れてくる音楽です。序奏の最後では音を出さずに低音の半音階クラスター和音がソステヌート・ペダルで保持され、上行アルペジオで色とりどりの倍音を響かせて「ロンド」へと繋ぎます。「ロンド」は同一主題が何度も回帰し、その間々に別の音楽要素が散りばめられる形式の音楽ですが、このソナタのロンドはA-B-A’-C-A’’-B’-A’’’-D-A’’’’-Codaと読めます。A主題は「無窮動」楽章と同様の5/8拍子に三連符の快活な旋律が転がるように奏される音楽です。三連符はそれぞれ32分音符(実質超速6連符)に展開したりもするので、第2楽章よりは心持ち遅めのテンポ設定にした方が安定するでしょう。ちなみに序奏もロンドもテンポ指示はありません。A主題に対する部分は通常のロンドのように、コントラスト意識の強いものです。Bは四分音符主体で中庸なテンポ感の二声対位法で、Cは付点2分音符が息の長い半音と跳躍音程の繰り返しにより上下動する旋律線を構成し、伴奏として時折すばやいアルペジオが挿入される音楽です。DはB’’と捉えることも可能かと思える中庸なテンポの二声対位法ですが、主題に現れる音価が自由に伸び縮みしながら、二声部による二重の加速・減速を繰り返すので、Bパートよりも音楽をコントロールする要素が多めです。A’以降のダッシュ群およびB’は、元の主題を完全に再現することなく、音程関係の変更を含むトランスポジションが施されていて、単純さを回避しています。最後のコーダは低音のクラスター和音を高速でトレモロするもので、音楽を盛り上げる効果がありますが、それまでの音楽がどう進行していたとしても、このようなコーダは音楽をまとめて強引に曲を終わらせる力がありますから、逆にこれが良い終わりだったのか疑問を持ちました。

ジャズも演奏するケラーの音世界は、都会的でスタイリッシュなものが多く、ここまで古典を意識したソナタは珍しいです。しかし大きな枠組みで音楽のドラマを作り上げるソナタ特有の構成美を感じる仕上がりで、いろいろな演奏家が取り上げれば成長する可能性の大きな音楽だと思いました。現在この曲の録音で入手可能なCDはNEOSレーベルから出ている一種類だけです。多くのピアノ独奏曲を残しているので、さらにいろいろな演奏家が取り上げて、ケラーの独特のピアニズムが知られるようになってほしいです。

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