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楽譜のお勉強【55】デヴィッド・ベッドフォード『星団、星雲、そしてデボンの場所』

デヴィッド・ベッドフォード(David Bedford, 1937-2011)はイギリスの作曲家です。西洋クラシック音楽の作曲家(現代音楽を含む)という枠に収まらず、ポップスも数多く手がけました。1960年代後半から1970年代にかけてとりわけ実験的な記譜法を用いた作品を多く残しますが、彼のディアトニックな響きの嗜好と相まって、当時の前衛音楽の特徴を備えながらも聴きやすさも湛えた作風を獲得しました。今日はその時期の作品から『星団、星雲、そしてデボンの場所』(»Star Clusters, Nebulae and Places in Devon«, 1971)を読みたいと思います。

『星団、星雲、そしてデボンの場所』(デボンはイギリスの州)は、合唱と金管合奏のために作曲されました。編成は8声部の合唱が2グループ(混声16部合唱)と、ホルン5本、トランペット3本、トロンボーン3本、チューバです。1970年代の前衛的な音楽の中で、声部が細かく分割されている合唱や管弦楽作品にしばしば見られるのは、群による作曲です。個々の声部の重要性よりも、同じようなテクスチャーの音響マテリアルを規則的もしくはランダムに重ねることで、具体的な主題性や旋律性よりも細部の不明瞭な、しかし全体としてはある指向性を持った響きが作られていくような作曲技法です。合唱が16声部あるということで、そのような指向性の音楽を予測して楽譜を開くと、やはり群による作曲の音楽でした。

第1合唱と第2合唱は異なる歌詞を歌います。第1合唱は天文図鑑に現れる単語を羅列したものが歌詞になっていて、「アンドロメダ大星雲」、「サジタリウスの干潟星雲」、「白鳥座の石炭袋」等の単語フレーズが歌われます。物語性はありませんが、響きの中から単語が聞き取れる際には星座の物語などを喚起させるものです。第2合唱はデボン州の地名(道路標識)を歌っていきます。やはり脈絡なく並べられているようで、なおかつ地域性が強すぎて天文用語ほどの喚起力はありません。例えば、「カロンプトン」、「ハンギングストーン・ヒル」、「ハイ・ウィルヘイズ」などと歌われます。気になったのは「スタークロス」という語で、こちらは少しだけ天文用語と響き合っているようにも聞こえます。デボン州はデボン紀の海洋生物大量絶滅の証拠となる化石がたくさん見つかる土地です。天文用語との親和性は薄いとはいえ、彼方の天空と遥かな過去という点が、壮大な線で結ばれています。もちろん、デボン州の道路標識から喚起される物語など、イギリスに住む人ですら、ごく一部の人にしか喚起力を持たないと思うので、壮大なものを結びつけたと言うのは大袈裟ですが。壮大なものとごく一部の土地のスケールの小さなもののコントラストと考えることもできるでしょうか。

群による作曲の響きの特質を決定する要素はたくさんあります。和声(和音)、モチーフの動きの細かさや方向性、音域、強弱、楽器の音色、等です。この中で特に曲の聴き馴染み具合の決定に大きく関与するのは和声だと感じています。微分音を含む細かい半音クラスターを使えば、調性感の全くない音響の厚みによる構成になったりしますし、微分音を含んでいても詳細に和音を設定してあれば、未知の旋法性を感じる音楽になるでしょう。ベッドフォードは特にディアトニックな響きの中にモチーフを散らしていく嗜好がありました。これにより古典的な調性感をやや獲得しつつ、細部に不確かな揺らぎを感じる響きを作り出しました。

冒頭はホルンとトランペットが徐々に響きを編んでいく始まり方ですが、これは群指向というよりも対位法です。同じモチーフをタイミングをずらして厳密に重ねていく書法です。ただしこの後、群作法に展開していく布石として、対位法の巧妙さは全く意識されていません。対位法では別の声部を重ねた時の音楽的意味の相互補完が重要な要素となっていますが、これはだんだん層ができていくだけで、声部に特別な役割がありません。工夫の少ないディアトニックな響きは、一声部だけではややもすると陳腐ですが、無味乾燥と重ねることで浮遊感を作り出しました。そこにトロンボーンとチューバがロングトーンの和音を重ね、独特の広がりを持った、宇宙を感じさせるようなセッティングを作っています。

まずはそこに第1合唱が入ってきます。和音を確定的に歌ってすぐに各々が自由なタイミングで歌う群作法へと入っていきます。ただし、その導入は慎重で、最初に鳴らされた和音を刺繍音を中心とする非和声音で彩る程度のモチーフが折り重なる状況に留めています。最初に和音は確定的に鳴らされていますから、装飾的に揺れる和音として聞こえます。次第に装飾の加減が大きくなっていきます。

次に金管合奏が入りますが、この曲の進行は金管→合唱→金管→合唱というのがとても多いです。このことから、この曲が二重の意味でアンティフォナ的(キリスト教聖歌の一様式、交唱)。第1合唱と第2合唱が交互に掛け合うセクションも多いのですが、それを包含する形で、合唱と金管の交唱も楽曲構成の大事な要素となっているのです。金管合奏は音質の人間的な温かみからか、合唱曲の伴奏としてしばしば用いられますが、この曲では金管合奏は伴奏や歌の間奏という役割ではありません。

しばらくこのようなアンティフォナ的な音楽が続いたあと、リハーサル番号Eから曲が展開していきます。合唱は第1と第2合同で短いモチーフ(詩句の音節数に対応、概ね3音から5音程度)で素早く歌います。素早いモチーフを歌っていない合唱メンバーは和音を伸ばしています。そこに少し遅れて金管が入ってきて、同様のモチーフを歌います。この短いモチーフはアルペジオ的なものはなく、ほとんどのものが4音を基準にしてテトラコルド(完全4度を3つの音程に分割した4音音列)に近いものです。それまでの音楽は厳密に記譜された金管合奏と群作法による合唱が交互に現れる作りであったのに対し、ここでは3つのグループが全て同じようなモチーフをセッティングされた和音の中に散らしていくことに腐心します。ただ、作り方はリハーサル番号Dまでの音楽と逆で、合唱は厳密に記譜され、金管は不確定な記譜へと変更されています。

短い刺繍音モチーフによる金管合奏の間奏を経て、リハーサル番号Gから合唱に面白い記譜が見られます。リズムを指定していないのですが、始点や終点を同時に定めて、各声部がグリッサンドし、到達点を始点から分散、もしくは終点で収束するように自由なタイミングで歌うように書かれています。楽譜の冒頭の説明では8部合唱が2グループとだけ書いてあったので、ここまで気づかなかったのですが、この歌い方を実行するために、各声部は6分割されるので、実際に必要な歌い手の最低人数は96人(!)であることが分かりました。人を集めるのが大変で、なかなか演奏されないのも頷けるのですが、この効果はとても面白いものです。16声部でさまざまなタイミングでこれを重ねることによって、響きがとにかく、うにょ~んと伸び縮みする感じが実際に聞こえます。

(上述の特殊な分割の記譜例。これが16声部で重なり合う。)

リハーサル番号 I から始まる合唱の書法もとても面白いものです。第1グループのソプラノおよび第2グループのソプラノを各3ずつ、すなわちソプラノ1と2で6声、両グループ合わせて12声に分割します。そして6声で一つのメロディーを歌うのですが、旋律線の始点、中央点、もしくは終点のいずれかを揃え、開始声部から隣接する声部は少しだけ音価を長くしていくのです。これも旋律のにじみやブレを確かに聴くことができます。実はこの書法は作曲技法としては古いもので、ルネッサンス時代の対位法音楽で音価を2倍、3倍、1/2倍等に処理して同じ旋律を重ねる手法がすでに見られます(ジョスカン・デ・プレの見事な手腕が有名です)。現代でも、この技法をさらに拡大して、1/5倍、1/7倍等、計算してアンサンブルを成立させるのが困難な曲も多く生まれました(ゲオルク・フリードリヒ・ハースなどにとても有名な例があります)。ベッドフォードの異なる点は音価を定めていない点です。このことにより、より複雑で微細な効果が生まれ、「対位法的」というよりは「エコーの特殊な用例によるエフェクト」みたいな響きを作っています。

リハーサル番号Oからの金管合奏が興味深いです。短い長短2度のモチーフを自由なタイミングで演奏し、音群を作っていきますが、2度の音程が次第に失われ、1度の繰り返しに、さらに金管の豊かな響きが失われマウスピースのみによる閑散とした響きに、最後にはマウスピースを叩く打楽器的な音へと変容していくのです。2音と単音を組み合わせた音群は、モールス信号のようでもあり、それが色々な楽器・音程で重なって立体的なリズム構造を作り出している様子は、コロトミー構造(ガムランなどに見られるリズム構造)を聴くような錯覚があります。実際には確定されているリズムが何もないので、コロトミーであり得るはずもないのですが。この後、音楽はこれまでの技法をさまざまに組み合わせて盛り上がりを作っていき、壮大に宇宙的な響きを聞かせてから、彼方へ消えるように終わっていきます。

イギリスでは、ディアトニックな響きを持つ曲を書く作曲家がとても多い印象があります。アメリカの現代音楽に多いポップな調性感とはまた違った響きで、興味深いです。改めて聴くと、ベッドフォードの本質的な響きの感性は、特別に個性的なものとも感じませんでしたが、それが前衛的な技法と出会った時の音楽表現の幅の広がり方には強い興味を覚えました。他の曲も機会があれば勉強したいと思います。

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