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楽譜のお勉強④ジュリアン・アンダーソン『ホロヴォード』

うちの書棚で眠っている楽譜をちょっとずつ軽く読んでいく記事の第4回は、現代イギリスの作曲家ジュリアン・アンダーソン(b.1967)の『ホロヴォード』という作品を見ていくことにします。アンダーソンの大きな編成の作品はとても色彩豊かで活力に溢れています。そんな素直な音楽性が魅力的な作曲家です。

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15人の奏者のための『ホロヴォード』は1989年に初稿が書かれ、1994年に改訂されています。初稿はアンダーソンが22歳の時に書かれていて、彼の最初期の作品ということになります。管弦楽法的にとても優れていて、活き活きとしたテクスチャーやリズムをくっきりと鳴らす様々な工夫が見られます。現行の改訂稿でも27歳ですから、アンダーソンの早熟っぷりに驚きました。『ホロヴォード』の編成は以下の通りです。フルート(ピッコロ持ち替え)、オーボエ、クラリネット、ファゴット(コントラファゴット持ち替え)、ホルン、トランペット、トロンボーン、パーカッション(2奏者)、ピアノ(チェレスタも)、第1および第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス。

「ホロヴォード」とは、ロシアの民族舞踊の一種です。円を描くように踊るものだそうです。アンダーソンによる『ホロヴォード』は、具体的にロシアや近隣の国々の音楽を引用してはいないそうですが、作曲者自身が集めたロシア、トルコ、ルーマニア、リトアニアのホロヴォードあるいは似た舞曲のメロディが20点ほどあり、それらのメロディーの作り方を参照して作曲したことを明らかにしています。後に触れますが、特筆すべき点は、旋律に含まれるおとを伸ばしておいて、楽器間で滲ませ合うことで曲の和声を形作っていることです。また、曲にはいくつかのセクションがありますが、推移する部分、すなわちトランジションを敢えて作曲しなかったと作曲者は語っています。突然の曲調の変化はこの作品の大きな特徴の一つに数えられます。

冒頭、まずドの音が3オクターブ内(C4、C5、C6、C7)に配置されます。コントラバス以外の弦楽器群を除く全合奏で、いくつかの楽器が対になって、リズムパターンを演奏します。八分音符で割切れるリズムパターンと、三連符を基本とするリズムパターンに分けられ、シンプルなので奏者への負担が少ないです。しかし、実際に聞こえるリズムは十分に不規則的かつ複雑で、なおかつオクターブに散らばって組み合わされるため、立体的な効果も高いです。また、楽器の組み合わせは、最低音であるC4が4つの楽器で組み合わされているため、しっかりとした重みを持ったバスの役割を果たしています。楽器を組に分けるときに若い作曲家が陥りやすい罠として、均等に振り分ければ響きのバランスが取れると考えることが多いのですが、実はそうではありません。若きアンダーソンはすでに響きのバランス感覚にも優れていたように見えます。

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(楽器の組み合わせとリズムパターン)

しばらくこのようなリズム遊びが繰り返された後、ドの音が少しずつ動いていきます。最初はシのフラット、そしてレ、という具合に徐々にドから離れていきます。また、先に述べた楽器の組み合わせは維持されますが、高音楽器ではよりメロディーに細かい動きが生まれ、低音楽器は動きが少なく(これも管弦楽法の基本的なテクニックの一つです)、同じメロディーを同じリズムの枠で奏しているけれども、少しの差異が認められ、メロディーが表情豊かな鳴り方をします。根本的に同一のメロディーを違った道筋を辿って同時に演奏する音楽をヘテロフォニーといい、日本を含むアジアの伝統的な音楽でしばしば見られる特徴になっています。ヘテロフォニーは現代の新しい音楽では盛んに取り入れられる技法で、アンダーソンの旋律書法も一種のヘテロフォニーと言えます。

ただし、ここで聞かれるのはシンプルなヘテロフォニーではなく、ヘテロフォニーとポリフォニー(多声音楽)の複合です。前述のとおり、いくつかの楽器が対になって、リズムユニゾンのパターンを演奏しています。それぞれの組は最初のセクションにおいて常に有効なので、それぞれの組が徐々にメロディーを形成していきます。これらは他の組とは独立しているため、ヘテロフォニックに展開した個別のメロディーの層が生まれるのです。人々が円を描くように思い思いに踊る様子が浮かびます。

しばらくすると弦楽器も加わって、更に芳醇な響きで似たようなプロセスが続きます。旋律の動きはいよいよ溌剌として、上下に走り回る音階群まで発展していきます。そんな風に個々人が思い思いに踊っているような音楽は突如ユニゾンに帰結します。16分の5拍子や8分の3拍子、4分の2拍子等がめまぐるしく変わっていく音楽はストラヴィンスキーの『春の祭典』を思わせますが、『ホロヴォード』のこのセクションではユニゾンのメロディーが軸なので印象は大分スッキリしています。ダンスでは、大人数による多様なステップの渦から急にシンクロステップに変わるような様子は、踊りのコレオグラフィーとしては大変見応えがあることが想像できますが、音楽にも同様の効果があり、本作の聴き所の一つです。

更に曲が進み、今度は弦楽器がギターのように楽器をかき鳴らすセクションがあります。これも音楽的には先のストラヴィンスキー風のリズム書法ですが、響きの個性を変えることで獲得できる効果は先人たちの作品でも実証済で、一気に曲調が変わったような印象を生み出すものです。先に述べたトランジション不在の音楽が、効果的に決まっています。

曲も後半に差し掛かると、頻繁に上行音階が現れるようになります。ここから徐々に展開していく様子はとてもシンプルかつ効果的で面白いものなので、ちょっと図示してみようかと思います。まず、上行音階をピンクの線で表します。

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少しずつ現れていた上行線はいつの間にか再び最初のセクションの終盤のように層状になり、渦を形成しています。それが徐々に滑らかではないようにアーティキュレーションを施され、分断された上行線になっていきます。次第に滑らかな線と乾いた線が組み合わされ、かなり表情豊かな渦へと進化していきます。さらに、その渦の中を縫うようにメロディーが演奏されているのですが、下行音型を軸にした作りになっていて、とても輪郭を捉えやすい現れ方をしているのです。上行音型と下行音形を組み合わせる書法は、いわゆる和声学や対位法で西洋音楽作曲技法の基本書法になっているのですが、音階の無秩序な渦という現代的な表現方法においても、作曲技法の基礎は有用であることが分かります。

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一番最後の部分は大変な強奏による合奏で曲の最後の盛り上がりを印象づけ、ゆるやかに減衰して曲を終えるという、西洋クラシック音楽の作曲を勉強する若い作曲家の定石のようなエンディングで、少しインスピレーションのきらめきが影を潜めてしまったかのようでした。しかし、管弦楽法のバランスの良さ、驚きに満ちた場面転換で、その魅力を存分に伝える楽曲です。実際にこの音楽に合わせて「ホロヴォード」のステップを踏むことはできないと思います。しかし、これは言うなればラヴェルの『ラ・ヴァルス』のような音楽にも考えられます。『ラ・ヴァルス』はバレエ音楽なので、あたかも本当のワルツのような顔をしていますが、実際にはヨハン・シュトラウスのような実用音楽としてのワルツではなく、ワルツという概念についてワルツの形骸を通して考察して描いたような音楽です。アンダーソンの『ホロヴォード』もそういった音楽の系譜に位置づけられるような気がします。完全に余談ですが、私の作品にも『演奏会用ワルツ』という管弦楽曲があり、このような音楽の在り方を探ったアプローチになっているので、いつか記事に書きたいと思います。

最後に補足になりますが、日本の現代音楽シーンを支える重要な音楽祭にサントリーが開催しているサントリーホールサマーフェスティバルという音楽祭があります。毎年海外から活躍中の作曲家をテーマ作曲家として招聘し特集演奏会を開催します。また、特集作曲家以外の作曲家の比較的新しい作品も数多く演奏され、海外の作曲業界における潮流を日本に紹介する大切な役目を果たしています(*)。アンダーソンの音楽は1998年にこの音楽祭で室内楽作品が日本に紹介されました。また、2004年にも同音楽祭で管弦楽作品が演奏されています。新しい管弦楽作品や大きな編成の室内楽作品を演奏するには大きな予算が必要で、なかなか大変なことなので、現代の作曲家の活動に関心を持つ人々にとって、サントリーホールサマーフェスティバルはとても大事な音楽祭です。いろいろな新しい音楽を日本でコンサートで聴くことができる日が来れば良いなと思います。


*) 今年はコロナの影響で来日を予定していたテーマ作曲家イザベル・ムンドリーが残念ながら渡航が叶わず、テーマ作曲家シリーズのコンサートは中止になりました。

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