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楽譜のお勉強【64】デヴィッド・ラコウスキ『エチュード第22番「シュノッツァージ」』

本日の「楽譜のお勉強」は1958年生まれのアメリカの作曲家、デヴィッド・ラコウスキ(David Rakowski)のピアノのための『エチュード第22番「シュノッツァージ」』(»Schnozzage (Étude #22)« étude for nose, 1999)を読みます。副題に「鼻のためのエチュード」とある通り、鼻で演奏する声部を伴うとても珍しい曲です。

ラコウスキはニューイングランド音楽院およびプリンストン大学で、ミルトン・バビット、ポール・ランスキー、ルチアノ・ベリオ等に学びました。長年ブランダイス大学で教鞭を執り、ほとんど全ての作品がペータース社から出版されています。ラコウスキは大変な多作家ですが、特にピアノ音楽に強いこだわりを持って創作活動を行っています。今回取り上げる『シュノッツァージ』は彼の『エチュード集 第3巻』に収められています。『エチュード集』は長らく彼のライフワークの様相を呈していたもので、全10巻が刊行され、各巻に10曲ずつの練習曲が収録されています。最後の第10巻は2010年にまとめられており、100曲のコレクションを完成した彼はその後エチュードを現在まで書いていません。しかしピアノ曲を中心とした作曲は続いており、2010年から2020年の間に同じく全10巻の『プレリュード集』を発表しました。他にも細かなピアノ小品が多数あり、これほどピアノに執着した創作活動を続けている作曲家は、ピアノ演奏に軸足を置くピアニスト兼作曲家以外では極めて稀です。


「エチュード」は日本語で「練習曲」と訳されます。音楽史上「エチュード」と題された作品の多くは、特定の演奏技術の習熟を目的とします。ただし、ピアノ音楽史においてエチュードと言えばショパンの27曲のエチュード以降、演奏技術の熟練と高度な音楽性の両方を演奏会で披露するタイプの音楽がメインになりました。多くの優れた作曲家がピアノ・エチュードの名曲を残しており、同種の技術習得目的であっても、作曲家によって音楽的アプローチが違って新しい味わいがあるため、ピアノに必要な技術をコンセプチュアルに用いて音楽を作っていくような作曲ジャンルとなりました。

ラコウスキのエチュードも第1巻、第2巻あたりでは、通常の奏法の習熟に相応しいエチュードが並びます。同音反復練習、トリルの練習、オクターブの練習、手の交差の練習、左手の素早いパッセージの練習、内部奏法の練習、3度の練習等です。第3巻に至って、通常あまり見ない奏法の練習が現れました。この傾向は第3巻に顕著で、第4巻以降はまた普通のエチュードが多いように思います。第3巻で変わったものの中には、拳奏の練習曲である第25番『怒りの拳』(»Fists of Fury«, 1999)や鍵盤範囲全体を途轍もない跳躍奏でアルペジオ化する第29番『独自のロール』(»Roll Your Own«, 2000)などがあります。拳奏はトーン・クラスターという訳ではなく、主に黒鍵の重音に用いられます。作曲家オリヴィエ・メシアンのピアノ曲をメシアン夫人のイヴォンヌ・ロリオが演奏する際に、挑戦的な強弱のコントラストを実現するためにしばしば用いていた奏法なので、そういったインスピレーションもあったのかもしれません。

しかし何といっても異彩を放つのは『シュノッツァージ』に見られる鼻奏です。「シュノッツァージ」とは、ラコウスキの造語でschnozzle(鼻)と接尾語 -age を組み合わせた言葉です。「鼻のアクション」とか「鼻によるプロセス」とか、そんな意味です。ピアノでは両手で押さえられる鍵盤の範囲は限られていますから、カバーしきれない音域が必ず現れます。それを無理やりカバーする試みです。同様に無理やり音域をカバーする試みとして、足奏を伴う曲を他の作曲家の作品で見たことがありますが、足を鍵盤まで上げる体勢がアクロバティックで、どんな演奏家でも演奏できるタイプの曲ではありません。それに対して鼻は現実味があります。鍵盤に鼻の脂が付くのが難点ですが。楽譜は3段譜で書かれており、上段はピアノの最高音域を右手で弾きます。下段はピアノの最低音域を左手で弾きます。そのまま寝そべるように鍵盤に顔を寄せていくと鼻が演奏する中音域に至るのです。

右手パートも左手パートも、最初は極端に高い、もしくは低い音域をゆっくり動くのですが、次第に使用音程を拡大していき、かなりアクロバティックな跳躍を伴うようになります。鼻が鍵盤上にある間は視界が通常のように鍵盤を捉えられませんから、たくさんの跳躍を伴うパッセージの演奏は難易度が跳ね上がります。大きく屈んだ姿勢は、身体感覚も普段とは全く違ったものでしょう。新しい身体感覚を獲得していくようなエチュードと言えるかもしれません。

鼻の曲は特殊ですが、ラコウスキのエチュードは聞きやすく演奏効果の高い曲が多いので、日本でも取り上げられていけば良いと思います。現代でも素敵な内容を持ったピアノ・エチュードがたくさん生まれています。私もいつかて作曲みようかと思っています。

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