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楽譜のお勉強【33】エルンスト・トッホ『ワルツ』

エルンスト・トッホ(Ernst Toch, 1987-1964)は、ウィーンに生まれたオーストリアの作曲家です。他の多くのユダヤ系作曲家と同様に第二次大戦中にナチスの迫害を逃れるため、アメリカに移住しました。アメリカの音楽界でよく受け入れられ、交響曲(7曲)や弦楽四重奏曲(13曲)、多くのピアノ曲などを残しました。彼のピアノ曲はとても愛らしく、私がアメリカに住んでいた頃もドイツに住んでいたときも、音大の学生が取り組んでいるのを聞きました。教育的環境以外での演奏会で聞く機会は多くありませんが、もっと演奏されて良い作曲家だと思っています。

トッホの名を一際有名にしているのは合唱曲です。シュプレヒコールのための『地理的フーガ』(»Fuge aus der Geographie«)という曲が今日でも最も頻繁に演奏されているトッホの作品です。1930年に作曲された『話される音楽』という3つの楽章を持つ組曲の第3曲です。この組曲は現在まとまって演奏されることはまずありません。第1曲『O-a(オ、ア)』と第2曲『Ta-tam(タ・タム)』は楽譜の入手も困難で、現在ほぼ忘れられた作品と言えます。この2曲が、意味を成さない母音や擬音語のような音のみで構成されているのに対し、『地理的フーガ』では合唱の四声部が世界の様々な都市の名前を話し言葉でフーガのように追いかけて繰り返します。様々な国の地名が入っており、愛着のある地名が聞こえてくることもあって、分かりやすい共感を得た作品でしょう(日本からは横浜と長崎の地名が入っています)。

(『地理的フーガ』英語版)

(『地理的フーガ』ドイツ語版)

シュプレヒコール(Sprechchor)という言葉は現在日本では派生の意味合いで用いられることがほとんどだと思いますが、ここでは「話し言葉による合唱」という文字通りの意味です。このジャンルでトッホはパイオニアの一人です。先に述べた『地理的フーガ』が大成功を収めたためか、後年、任意の打楽器を伴うシュプレヒコールのための『ワルツ』(»Walzer«, 作曲年不詳1962年出版)という曲を作曲しています。今日はこの作品を読んでみたいと思います。

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(『ワルツ』)

歌詞はフリードリヒ・シャールという方が書いています。調べてみましたが、似た名前の工学者ばかり検索に引っかかってしまって、どのような方かは分かりませんでした。歌詞の内容は「1、2、3」と数え歌のように始まり、小動物の名前とそれを形容する言葉が連なる他愛のない内容です。それぞれの語が韻を踏むように選ばれていて、伝統的な歌詞の様式によるわらべ歌のように読めます。

合唱は混声八部で、『地理的フーガ』の二倍の声部から成っています。ただし、用いられる音価は八部音符が最も短いもので、とてもシンプルなリズムで構成されており、学生があまり長く練習しなくても歌えそうな様子ですので、『ワルツ』は教育的目的で書かれたのでしょう。記譜の方法はシンプルで、五線ではなく一本の線にリズム記譜をしているだけです。これは音高を平たくして歌うという意味ではなく、普通に語る時のイントネーションを用いるという意味です。ただし、アクセントや強弱が書き込まれていますから、語る時の抑揚は少しコントロールされています。

シュプレヒコールの音楽の難しさは、ハーモニーによって聞かせどころを作ることが出来ない点です。作曲家は声質から来る漠然とした音高や合唱の配置から来る声の方向なども工夫して聞きどころを作っています。例えば冒頭で「1、2、3」と数えるのが繰り返される際に最初は「1」を前列テノール、2回目の「1」は後列バスが歌うようにして、「2、3」は前列アルトが歌います。これにより、ワルツのベースラインを作りそうな「1」に動きが生まれ、また声が聞こえる方向の違いによる面白さも感じます。

打楽器は小太鼓、シロフォン、テンプルブロック、ウッドブロック、クラヴェスが用いられます。それぞれ歌詞の描写を強調したいときに用いられることが多いですが、後半にはワルツの「ズン・チャッ・チャッ」を打楽器が担っていて、合唱では冒頭のようにワルツが滲み出るような工夫は無くなっていくので、任意で割愛出来るとはいえ、打楽器の役割は重要です。打楽器がつくとより描写的になり、つかないヴァージョンでは多少抽象度が上がる感じでしょうか。

歌詞の内容を確認していて、『地理的フーガ』との決定的な違いを考えました。『地理的フーガ』では地名が羅列されるだけで、文章はありません。『ワルツ』は、簡単なものですが、文章があります。「もっと楽しく生きるにはどうしたらいい?」とか「君と一緒に踊るのがとても楽しいよ」とか。これらも韻を踏んで書かれている歌詞なので、詩を朗読するような音の面白さは聞こえるでしょう。しかし、このように意味の具体的な伝達が必要な歌詞がある場合は、本当の意味で面白みを感じるためには歌詞の言語を聞き手が知っている必要があります。地名の羅列も言語に左右される面もありますが、聞き手が地名だと理解できる言葉はかなりの確率で入っています。そして地名の持つインスピレーション操作の効率がすごいです。聞き手が印象を持っている街の名前が出てきた瞬間に多くの情報を与えてきます。この辺りが、『ワルツ』と『地理的フーガ』の一般的受容度を分けた原因の一つかとも思います。『ワルツ』も、言語が分かればユーモラスで、『話される音楽』の母音と擬音のみによる第1、2曲と比べると今日でも愛されている理由が明白な曲です。

歌詞の内容を想定される聞き手にどれだけ伝えたいかは、作曲家にとってとても大切なテーマで、二つの似たアプローチによる曲を比べてみることで、いくつかの気付きを得られたことが良かったです。

母音や子音を発音するときに口の形を整えます。そこから響きの陰影が生まれ、声楽曲は器楽曲にはないニュアンスを表現します。その響き自体も音楽表現の大きな力の一つで、歌詞に依存しない声楽曲も十分に味わい深いものなのです。そういった内容を興味深く洞察した論文が、トッホの『話される音楽』を題材に書かれていました。特に第1、2曲を用いて議論している点が興味深かったです。フランクフルト・アム・マインにあるMax Plank Institute for Emprical Aesthetics(経験的美学のためのマックス・プランク研究所)の研究者カルメル・ラツさんによって書かれていました。リンクをご紹介して今回の記事を終わります。

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